長かった梅雨が明けて隠者も今週は洗濯と黴掃除と虫干しに追われた。
澄んだ青空と白雲の輝かしさに、今年は殊に有難みを感じる。
我が狭庭の天にも揚羽が舞い、真夏の開放感がある。
運良く古式ファインダーに捉えられた揚羽蝶が、オールドレンズの滲んだ描写によって夢幻世界へ誘っているように思える。
さらに番いで縺れ合うように飛翔して行く姿は、幻視の飛天の舞と変化(へんげ)して行くのがお決まりだ。
もっとも飛蚊症の我が視界には常に幻影が飛翔しているので、これも別段珍しい事では無い。
文机にも軽やかな飛天の絵の花入を置いてみた。
(奏楽天図粉彩小瓶 中華民国 1920〜30年頃)
こちらは色鮮やかな粉彩の奏楽天で、我が病眼中の幻影を拡大すればこんな景になっている訳だ。
飛天とは仏教方面での呼称で、一般的には天人天女と言う事が多い。
また道教では仙姫仙娘などと呼ぶ。
日本における同様の絵柄は宇治平等院の長押を飾る雲中供養菩薩諸像で、多様な楽器を奏でながら阿弥陀浄土への来迎の景となっている。
これに野花を活け月並みだがバッハのフルートソナタでも聴きながら、ぼんやり思索に耽るのが気怠い夏の昼下りには良いだろう。
下の写真は中国の典型的な仙娘達の絵だ。
(粉彩大瓶 清朝後期)
散華霊芝雲の中に舞う仙娘達が如何にも楽しそうに描かれていて、昨今の暗い世相を吹飛ばしてくれる。
濃厚な極彩色が多い中国美術の中では粉彩はやや薄めの色調で、その明るさ軽快さで日本でも人気が高い。
当時の列強支配の清朝衰退期にあって、きっと清の人々も清明な絵を求めたのだろう。
私は普段は重厚感のある物が好きだが、暑中はさすがに爽やかな絵柄の粉彩が好ましく思える。
そもそも隠者は疫病禍で無くとも引籠り生活ながら、8月からはもう自粛しない引籠りで明るく楽しく、世に正しき隠棲の範を示すべく筆を進めようと思う。
©️甲士三郎