我が俳句の師、有馬朗人先生が亡くなられた。
こんな世情下では盛大な葬儀は無い様子なので、隠者は一人で秘めやかにお見送りしよう。
次々と浮かび来る追憶の中でも、師も弟子達もまだ若く冗談に興じたり芸術論に熱くなったりした頃は心底楽しかった。

(天神像 室町時代 影青花入一対 明時代)
師に数十年前に頂いた書を飾り、学者であった師のために学問の神の天神像を主神に隠者流の祭壇を築いた。
朗人師や高弟達との語らいの時間は竹林の七賢の宴のようで、今後あれほど高度な風雅の集いは我が残生には二度と望めないだろう。
もっとも大賢者とも言うべき朗人師の弟子が隠者で良いのかと思うが、賢者にも愚者にも成れぬ引籠りの詩画人なので、隠者がお似合いだよと師が笑っている気がする。
弔句を作るべく、薄日さす谷戸をぶらつきに出た。

返り咲きの小花が枯草の間に顔を出し、冬の斜陽が現世に深い光陰を刻んでいる。
この寂滅の景の中で、しばし亡き師の温顔を懐かしむとしよう。
返り花が不帰なる黄金の日々への朗人師の置き土産に思える。
全く句が出来ず薄日の谷戸を彷徨えば、枸橘垣の路地に出る。
春には揚羽蝶の幼虫がこの葉を食べて美しく育つのだが、冬はひたすら刺々しく師亡き後の世を暗示するようだ。

伝説を信じるなら春にはここで師の詩魂が揚羽蝶となって、また昔日のように我が画室を訪れてくれるかも知れない。
元々挨拶句は苦手なのでろくな弔句も出来ず、愚弟振りを曝け出してしまった。
代わりに上の写真の師の句「茄子の苗一天の紺うばひ立つ」に答えて〜
ーーー返り花北闕の天紫紺なるーーー
©️甲士三郎