ようやく秋晴の日が続き今週は中秋の名月だった。
隠者は暑さが苦手なので、この時期になると生き返った心地がする。
古来風狂人にとって観月は欠かせぬ行事で、多くの詩文や絵画が残されている。
私もせめて供物の饅頭でも買って来て、月の出を迎えるとしよう。
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宵闇の空に一片だけ漂っていた雲が月にかかり、うっすらと虹色の月暈が出た。
古人は現代人より遥かに強く、こんな光景に神聖さを感じていたのだろう。
古詩に詠まれた月への想いは、今よりずっと深い物が感じられる。
饅頭とお茶を御供えして簡素ながら月読の祭壇だ。
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夕餉時には我が画窓から丁度良い角度で前山に掛かる月が見える。
若い頃の春秋は詩画の取材に勤しむ季節で、毎年各地を旅していた。
ここ数年は種々の事情で旅にも出られず、自室から眺める風月に託す想いは強まるばかりだ。
ーーーもう旅に出られぬ画家の窓近く
大きな月の寄りて来るなりーーー
月見に合いそうな陶器類を揃えたので紹介しておこう。
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幕末〜明治頃の兎と団子の絵の織部に猫の水滴で、当時の風流人の宴を演出してみた。
今も東南アジアや中国の春節と中秋は、厳しい寒さ暑さが終わって万人が等しく喜べる祭であり、諸国民の最大のイベントになっている。
一方我が国では明治政府の旧暦廃止令で立春も中秋も無くしてしまい、土着の自然祭祀でさえ国家神道にすり替えてしまった。
よって幕府直参の旗本であった我家では、新政府に逆らいこっそりと旧暦の行事を伝えて今日に至っている。
©️甲士三郎