詩歌俳句の名作を読んだり短冊色紙を飾ったり、散歩しながら自分でも作ったりする日々は本当に楽しい。
そんな晩生なら十分に美しい人生と言えるのではないか。
私は画家だから絵を描いたり古画を飾ったりする方が多いが、一般的には詩歌の方が手軽に楽しめると思う。
今や文字情報としてはデジタルだけで十分なので、物質としての紙の本の価値はその本に想いが込められるかどうかだろう。
そう言う意味では名作の歌集句集などの初版本は、数世紀後の世界でも価値は失せないと思う。
写真は三橋敏雄の句集「青の中」特装初版本で、著者直筆句入り限定37部の1冊だ。
句は「少年ありピカソの青の中に病む」で、若い頃見て刺激を受けた思い出がある。
古き良き新興俳句の代表作だ。
大正時代の歌集類は天金を施し木版やクロスの装丁などで凝っている上に、小型なので散歩がてらのカフェや旅先へ持ち出すにも適している。
本は吉井勇の「旅情」初版。
若山牧水や吉井勇の歌集はまさに旅の寂寥感を深めるには持って来いだ。
秋草の野で好きな音楽を聴きながら、数頁ほどをゆっくり眺めるのが隠者の楽しみ方だ。
この日の散歩で出来た句を御笑覧。
ーーー澄む水や日も我が影も透き通りーーー
夕食後のお茶の時間は文机の前でぼーっとしている。
前回は虚子の月の句だったので、今週は秋桜子の月にした。
「厨子の前望のひかりの来てゐたり」水原秋桜子。
望は望月の事でもう中秋は過ぎてしまったが、鎌倉の9月はまだ夏の気温だったので今月に入ってやっと秋月を味わう気分になれる。
古い花器茶器で秋の夜長をたっぷりと想いに耽るのだ。
疫病禍の引き篭もり中にネットの古書店を荒らし回って、結構貴重な本が集まった。
この1年で例えば泉鏡花の初版本などは3〜5倍の価格に急騰していて、与謝野晶子はじめ詩集歌集も上がってきているから、今後はもう私如きの予算では手が届かない物となるだろう。
鎌倉文士物の最低限の蒐集は、なんとかぎりぎり間に合った。
気に入った詩句歌集は何度も何度も暗記出来るほど読み返せるし、残生を飽きずに楽しめる数が揃えば安心だ。
©️甲士三郎