新暦で新春の賀の後に寒の入りが来るのは全く理解出来ない。
案の定鎌倉も松過ぎた途端に雪と寒波に襲われた。
隠者は旧暦で生きているので正月はまだ先だし、今はしみじみと冬深き谷戸の閑寂を味わっている。
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先週の雪の朝は我が玄関前の光も夢幻の趣きがあって、早速例のオールドレンズを取り出して写した。
主人の無精で荒れ放題にしてある我が庭も雪化粧に隠され、こうして宇津田姫(冬の女神)の浄光の降り注ぐ一瞬に出会えた訳だ。
うっかり早まって前回に披露してしまった拙句を再披露。
ーーー荒庭の全てを許し雪積みぬーーー
午後には梢の雪も落ちてしまい元の荒廃の庭となったが、枝枝の影と冬陽がカーテンに移ろう窓辺でコーヒータイムだ。
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冬のドライフラワーにはバッハの無伴奏チェロ曲あたりが似合うと思う。
珈琲の香と音楽と光に包まれ詩句などを案じるのは、隠者暮しの中でも至福の時間だ。
近年の鎌倉の雪は年に一度降るか降らないか程度だから、旅に出られぬ私には貴重な雪景色の日となった。
ーーー雪積むや鎌倉中の老木にーーー
寒中の文机にはこの短冊と玉椿を飾った。
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「降る雪や明治は遠くなりにけり」中村草田男
当時の文人達の多くが江戸明治の情緒が急速に消えゆく東京を嘆いている。
大正の関東大震災の後は特に東京を見限って鎌倉や京都に移った知識人も大勢いたのだ。
昨今の疫病禍で寂れた東京もしばらく行っていないが、華やかで楽しかった街角の文化はもう元には戻らないだろう。
娯楽や文化芸術は精神生活者には必須の物だが、一般人の生活には不要不急の物と言われても仕方ない。
元々芭蕉も俳諧は夏炉冬扇、つまり世の役には立たない物だと言っている。
隠者や世捨人には今更そんな世相に不満のあろう筈も無く、己が独楽の園に安居していよう。
ーーー草田男の悪筆飾り寒に入るーーー
©️甲士三郎