ようやく長い残暑が終り鎌倉も清風澄江の秋となった。
週末にかけては雨模様らしいが、残暑よりは秋雨の方が余程詩情がある。
そして何より暖かい珈琲の時節到来だ。
我が荒庭の真中に100歳近い金木犀の大木があって、この時期はその香りと零れ花が庭中を埋めて豪華だ。
(会津本郷焼ポット 益子焼カップ 大正〜昭和初期 大樋長楽花入)
秋気満ちる日の珈琲には、武骨でやや厚手の古民芸の陶器が最適だろう。
この隠者が長年至高の珈琲碗を探して洋の東西、中世陶から現代作家まで試した結果、たどり着いたのが明治〜昭和初期の薪窯の頃の民芸陶器だ。
紅茶には絢爛豪華な色絵金彩磁器が良いが、珈琲には重厚かつ簡素な陶器が似合う。
各地の民芸窯も戦後は西洋の芸術意識で余計な個性や技巧に走り、素朴さを失った物が多いのが残念だ。
諸物価高騰の折にも古民芸はまだまだ安く、手作りなので同じ窯でもひとつひとつ上がりが違い中には桃山茶陶に迫る物もある。
ーーー音楽に金木犀の香は流れ 陽は珈琲の湯気に舞ふ秋ーーー
数ある珈琲の詩歌の中で最も隠者の好みなのは吉井勇の下記の歌だ。
(酒ほがひ 初版 吉井勇 丹波小壺 幕末頃 益子カップ 昭和前期)
「珈琲の香にむせびたる夕より 夢見るひととなりにけらしな」 吉井勇
彼の処女歌集「酒ほがひ」中のこの歌は、今も京都河原町の老舗カフェの前に歌碑が残っている。
戦中戦後の吉井勇は歌壇や結社から遠ざかって洛北に幽陰したが、正に夢見るひととして晩生を過ごした感がある。
歴史的にも秋は詩句歌の名作が沢山生まれている季節で、逆に夏は最も良作の少ない時だ。
詩神サッフォーに珈琲を御供えして、この秋の我が詩歌の豊穣を祈ろう。
(竪琴のサッフォー ギュスタブモロー 19世紀 益子湯呑 昭和前期)
ギリシャから遥か極東の地まで旅して来た詩の女神には、和洋折衷の饗応で湯呑茶碗にて珈琲を奉ろう。
カップ&ソーサーは小石原、ポット&ドリッパーは備前の古い作家物(陶印が潰れて判別不能)。
BGMは夏に散々ハープ曲を使って来たので、ここはハープシコードによるバッハの平均率が良いだろう。
花はエーゲの薔薇が欲しかったが、当然この時期には無い。
ーーー美しき旅人ひとり鎌倉の 秋咲く薔薇に顔(かんばせ)寄せてーーー
鎌倉の秋は10月から12月中旬まで楽しめるので、晩菊の谷戸や石蕗の路地巡りなどお薦めしたい。
吟行も秋の深まる程に良い詩想が得られそうで楽しみだ。
ーーー吹く風に捧げて菊の花ちぎり ちぎりて放つ渡り人とてーーー
©️甲士三郎