鎌倉の町中は降っていなくても、谷戸は時雨れている事がよくある。
小雨がぽつぽつと2〜3時間音も無く降る、静かな初冬らしい風情だ。
時雨に潤う我が荒庭は草木の彩度も上がって見える。
我家の前山も深みのある緑褐色の山肌の上に渋めの黄色や橙色の紅葉が引き立つ。
煙雨の仄かな明るみが影を和らげ、山は湿潤な日本画的色彩を見せてくれる。
鎌倉の紅葉は京都の絢爛豪華さとは違う、地味な彩りに潜む中世的な静寂感が見所なのだ。
雨の日は観光客も少なく、枯淡閑寂の鎌倉らしい良さを味わえる。
ーーー塞の神俗世の端の時雨道ーーー
雨上りの薄日の庭で蜜柑の色も寂光を放つようになって来た。
私には蜜柑や果糖類は毒なので食べられないが、もう少し赤味が増すと栗鼠達が挙って食べに来る。
以前に蜜柑を齧る栗鼠の写真を出したが、眼病の今はピント合わせも心許ない。
動物の瞳にオートフォーカス出来る最新鋭カメラは高価過ぎるし、何より隠者愛用のオールドレンズにはオートフォーカス機能自体が無い。
写真は撮れなくとも我が荒庭に栗鼠や小鳥が来てくれるだけで嬉しく幽居も華やぐ。
時雨の俳句で私が最も好きなのは加藤楸邨の句だ。
(句集まぼろしの鹿 初版 加藤楸邨)
「まぼろしの鹿はしぐるるばかりかな」加藤楸邨
この句は彼が良寛筆の鹿の和歌の掛軸を買い逃した時の作だそうだ。
隠者も同じような体験を何度も繰り返しているので、その気持ちはよくわかる。
良寛の書なら夢幻界に移転できる真性のアーティファクトだった筈だ。
同時にこの楸邨の句も読者を夢幻に誘ってくれるレベルの名作だと思う。
またこの句集の初版も稀少本でなかなか見つからず入手に苦労した。
実は薄日の中をぽつりぽつりと降る時雨の日は、鎌倉の山々の地味な色味も少しは華やぐ絶好の散歩日和なのだ。
そんな時雨の日は我が荒庭でさえも、しみじみと離俗幽陰の良さを味わえる。
ーーー時雨るるや幽かに漏れる茶事の音ーーー
©️甲士三郎