昔の桜は小学校の入学式の花だったのが、温暖化で近年はすっかり卒業式の花のイメージが定着した。
今年は天候不順のお陰で一昔前に戻ったような4月の桜が見ることが出来た。
我が荒庭の小さな枝垂桜も今週が盛りだ。
蛾眉鳥や鶯もようやく元気になり、毎朝この桜に来て鳴いている。
この木は父が在命中に孫の誕生を祝って植えた物でもう20年以上経つが、枝垂桜の成長は遅いのでまだ若木の風情だ。
毎朝いつ咲くかいつ咲くかと眺め暮し、2週間以上過ぎてやっと咲いた。
実は歌学研修の成果を確かめたくて3月のまだ花が咲かない時から桜の歌を作っていたのだ。
古来桜の名歌は沢山あるので難しいが、まあ自分で歌を詠む事自体を楽しめれば良い。
ーーー古歌に知る花はまぼろし幾年を 霞の谷戸の花と暮せどーーー
近くの永福寺には宗尊親王が曲水の宴をやっていた跡が残っている。
(類題和歌集 後水尾院 江戸時代)
当時は東国武士達の京の文化への憧れも強く、幽玄歌の名手だった皇子将軍の歌会は大変人気があったそうだ。
将軍職を辞めさせられた時にも京には帰りたく無いと言い、また彼を慕う武士達も大勢が彼との別れを惜しんだ。
鎌倉の歌人では何と言っても実朝が有名だが、私はこの宗尊親王の歌の方が好みだ。
ーーー囀も花散る谷戸の水音も 春詠み暮す皇子の歌苑ーーー
そして歌学や和歌の古書を集めている最中に、運良く見つけられたのがこの短冊だ。
(直筆短冊 本居宣長 江戸時代)
「敷島のやまと心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」 本居宣長
万葉仮名の草書で書かれていて誰も読めなかったのか、隠者風情の手持金でも何とか落札出来た。
この有名な歌は「武士(もののふ)のやまと心を〜〜〜」と変えられ軍国主義の宣伝にも使われたので、そちらで覚えている人も多いだろう。
元歌の「敷島の心」は歌心の事だ。
軍国色を取り除けば、和歌史上屈指の名歌だと思う。
隠者もこのくらいの歌が詠みたくて、日々本居宣長の歌書に学んでいる。
彼はまた神学や言霊研究でも第一人者だから、集めるべき本はまだまだ多い。
桜が遅かった分、牡丹やあやめは早い気がする。
春はあっという間に過ぎてしまうから、精々早起きして朝から晩まで行く春を追いかけようと思う。
©️甲士三郎