ーーー花屑に座りし猫の冷えてをりーーー
今年の桜は遅かったので隠者流花鎮めの時期を逸してしまった。
その代わりに以前から思っていた日本浪漫派の作家達の鎮魂祭をやろうと思う。
保田與重郎らの主導した戦前の雑誌「日本浪漫派」は結局短命に終わった。
(直筆色紙 保田與重郎)
「日本浪漫派」は世間では漠然とした右傾思想の雑誌と取られているが、その成果として体系的な思想を打ち出したとは言い難い。
保田自身はどちらかと言えば思想より和歌が好きだったらしく、彼の復古調の歌を初めて読んだ時には驚いた。
「けふもまたかくて昔となりならむ わか山河よしつみけるかも」
大和の月日と山河に対する痛切な鎮魂歌で、濁点を付けないのも古風な書き方だ。
彼が生まれ育った奈良桜井の風土と古典文芸の素養がうまく溶け合い、深い想いの込もった名歌だと思う。
古歌の研究面では力を入れていた万葉集より、むしろ気軽に書いた中世和歌の評論の方が良い。
(後鳥羽院 初版 保田與重郎)
彼の文章はどうしても史実に囚われて学術論文ぽくなるが、和歌の選のセンスは学者達には無い直感力がある。
難解な中世幽玄体も良く理解しており己れの歌にも良く生かされている。
色々と政治歴史思想などを書きまくり俗世を賑わせていたが、自作の和歌と共にもう少し歌学方面に集中していれば、一流の歌人として後世にまで残る才があった。
戦後に公職追放を受けてからは結構暇もあっただろうから、せめて隠遁後だけでも歌に専心していればと惜しまれる。
もう1人日本浪漫派の作家を挙げるなら林房雄だろう。
(浪漫主義者の手帳 初版 林房雄)
彼は初期のプロレタリア文学から早々と転向し日本浪漫派に加わり、長く鎌倉に暮して川端康成や三島由紀夫とも親しくしていた。
彼の戦後の「大東亜戦争肯定論」は衆目を集めたが、それ以外では浪漫主義に憧れる至って純真な作家だったようだ。
この本は獄中で日本浪漫派に対する期待を毎日のように綴った随筆だ。
行き過ぎた国粋主義の反動で戦後の日本は自ら伝統宗教や哲学を否定し、極端な欧米化の挙句に拝金主義の主導する国になって行く。
保田達の古き良き浪漫主義は、せめて詩歌芸術の中だけにでも生き延びて欲しい。
ーーー朧夜の花屑白く散る路の 昔の闇の寧(やさ)しかりけりーーー
©️甲士三郎