昨年改めた我家の年中暦により隠者の夏は24節季の小暑までで終わり、7、8、9月は歳時記にも無い新たな熱極の季とし、秋は彼岸過ぎからとなった。
そして創作活動に向かないこの酷暑の7、8、9月を、歌学詩学の思索に引き籠る事にしようと思う。
そうなると小暑となるまでに夏の詠題を出来るだけ終えるように、少し吟行の頻度を上げる事にした。
今の私は家人の介護があるので精々2時間程度しか家を留守に出来ず、行けるのは我家の近辺で小さな自然の残っている場所しかない。
ここは門を出てすぐの夏草の茂る空地だが、毎年梅雨明け頃には綺麗に刈られてしまう。
1週間ほど前は胸の高さだった青薄の丈が、数日でぐんぐん伸びてもう頭の上だった。
このまま秋を迎えれば見事な薄原が見られるのに残念だ。
ーーー草深く古歌書百巻蔵したる 古家を青く包み隠せりーーー
次の日は永福寺跡の隅の草叢で朝茶にした。
昭和初期瀬戸製の輸出用の珈琲器を持ち出し、野の花の精を呼んで茶会をしよう。
また写真では見難いがここには赤く小さな蛇苺が沢山実って、狭いながらも花実の楽園の彩りだ。
ここも春先に丸坊主に刈られてしまい、その分成長の遅れた姫紫苑が今咲いている。
ーーー捨庭は夏に入るとも春の花 時の流れを外(ほか)と違へてーーー
花屋で珍しい和花があったので買ってきた。
可憐な梅花宇津木を古織部に入れて眺めれば、江戸時代の風雅の士の趣きだ。
後ろは田能村竹田の鳳(おおとり)図。
江戸後期は大園芸ブームで、桜から菊まで多様な種類の花が作り出された。
朝顔百珍などと言う園芸本まで出ている程で、この梅花宇津木もその頃の品種だそうだ。
また宇津木は卯の花に次ぐ夏の花の代表で、宇津木姫とは夏の女神の名でもある。
ーーーもはや世に用無き身とて夏来れば 宇津木の姫に花奉るーーー
こんな感じで暑の入りまでに沢山の詠題をこなせば幾つかはまともな歌も出るだろう。
古歌にも夏の名作は少ないのだ。
エアコンの無い昔の京都もさぞ暑かったろうから、公卿達もあまり外に出ず引き篭っていたに違いない。
©️甲士三郎