長い夏が終りやがて温かい茶や珈琲に適した時期ともなれば、詩歌も書画も音楽もいっそう味わい深くなる気がする。
澄んだ秋気のお陰で酷暑に弱った体調もようやく快方に向かい、この数ヶ月あまり進まなかった思索にどっぷり浸れる。
テーマは引き続き中世幽玄体だ。
鴨長明の「無名抄」は数ある歌学書の中でも、これこそ我が師父とも頼む金言の書だ。
特にその中の幽玄論はようやく研究も進み、今や英語や中国語にも翻訳されている。
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(無名抄写本 鴨長明 古信楽蹲壺 古萩唐人笛茶碗 江戸時代)
藤原定家の幽玄論ではまだ奥ゆかしさを指す程度の認識だったが、この鴨長明や心敬らによってようやく今我々が思う幽玄に近づいたのだ。
「言葉に現れぬ余情、姿(形)に見えぬ景気なるべし。」
これが長明の言う幽玄体だ。
例歌では藤原俊成の「面影に花の姿を先だてて 幾重越え来ぬ峰の白雲」を褒め称えている。
心に咲く真の花を探して雲中の夢幻境を旅するようなこの歌に、彼の思う幽玄を強く感じたのだろう。(桜と雲は古歌ではしばしば同一視される)
長明自身の詠んだ歌では「石川や瀬見の小川の清ければ 月も流れをたづねてぞ澄む」が絶品だ。
玉依姫伝説の糺(ただす)の森の水面に映る月は、まさに中世の幽玄その物だろう。
私もこの隠者の祖師の教えを辿って行こう。
ーーー川を越え月の光を遡り 世隠れの師を尋ね行かましーーー
野辺の月光と虫の音の中で古歌集を読めば、秋の情趣もまた一段と深まる。
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(風雅和歌集 江戸初期版本)
定家や長明の歌論の後、実作面で幽玄体が広まるのは鎌倉末から室町時代にかけてで、禅の影響も受け入れながら能楽、水墨画、石庭、侘茶などと共に世界に類を見ない独特の美意識にまで発展した。
幽玄なる和歌も増えて来た玉葉集風雅集を選した京極為兼は、自身も実景と幻影の境を漂う新歌風を作り上げ、「心のままに詞の匂ひゆく」と言う歌学史上に残る名言を残している。
勅撰の玉葉、風雅和歌集から幾首か紹介しておこう。
「泊まるべき宿をば月に憧れて 明日の道行く夜半の旅人」京極為兼
「沈み果つる入日の際に現れぬ 霞める山のなほ奥の峰」同
「明方の霜の夜鴉声さえて 木末の奥に月落ちにけり」伏見院
「月を待つ暗き籬の花の上(へ)に 露を現す宵の稲妻」徽安門院
現代では忘れ去られているこの和歌集こそは日本独自の美意識の深奥、夢幻なる中世幽玄体の完成形だと思う。
さて先月まだ蒸暑くて見送った秋月の宴の時がやっと来た。
松村景文の月兎の絵に秋の供物を並べ、今宵の宴は江戸時代の京都の風情に浸ろう。
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(月兎図 松村景文 江戸時代 李朝燭台)
京で住まいの近かった蕪村と円山応挙は良く行き来しており、その双方の後を継いだ呉春らの四条円山派は当時一世を風靡したが、何故か今はあまり人気がない。
その円山派を代表する松村景文や岡本豊彦もまた江戸後期の大歌人香川景樹らとの交友も盛んで、京都の文雅の伝統と詩情を汲んだ瀟洒な作風だ。
我家には人気が無く手軽に買えた呉春、景文、豊彦の絵がいつの間にか十数枚も溜まり、季節季節に掛け替えて楽しんでいる。
晩秋は日本の幽玄美に浸るのに最も良い時期だ。
鎌倉は12月まで秋が続くので、ゆっくり思索を深める事が出来るだろう。
©️甲士三郎