最近は明治大正時代の古書の価格が2倍3倍に高騰し隠者の手が届かない所に行ってしまった。
残るは江戸時代の木版本しか無い。
(後選和歌集 江戸版 木彫観音像 明時代 織部湯呑 江戸時代)
写真は古今集の次の勅撰集である後選和歌集の江戸版だ。
中世までの本は全て手書きの希少本で、版本が出来たのは江戸に入ってからだ。
江戸時代の木版本では漢文は楷書なので問題ないが、和文は草書が多く読み辛い。
私も7〜8割は読めるものの、すらすら判読は出来ない。
だがその為に相当古い物でも安価で買えるし、痛みや虫喰いがあれば文字通り二束三文なのだ。
明治大正の古書が高くて買えなくなった隠者の最後の猟書には、虫喰いだらけの江戸の和綴じ本が似つかわしいだろう。
私はどうも昔から百人一首のどこが良いのかわからないでいる。
(金葉和歌集 江戸版 染付急須茶盃 清時代 鶴形釘隠し 桃山時代)
古今集はまあ良いとしても万葉集は左程好きでは無かったのが、遅まきながら最近ようやくそれ以外の勅撰和歌集の方に優れた歌が多いのを知った。
これまで万葉古今以外は駄目と言う、昭和時代の学者達の言う事を鵜呑みにしていたのが間違いだったのだ。
返って江戸時代の本居宣長や香川景樹達が良いと言っている新古今、続古今、また千載、玉葉、風雅などの中世の勅撰集の方が断然良く思えた。
そしてこれらの古書はみな、その昭和以来の評価の低さから安値で買えるのが有難い。
今週末の鎌倉宮では卯の花祭りがあり美しい巫女舞が見られるのだが、残念ながらその巫女の花冠は黄色の造花なのだ。
写真は鎌倉宮脇の夜目にもさやかな卯の花。
この鎌倉宮の裏道には卯の花が群れ咲いている所が何箇所もあるのに、誰も卯の花を知らないのかもしれない。
現代では花屋の店員でさえ卯の花がわからないのだから仕方ない。
古来から和歌の詠題ではあやめ以上に初夏を代表する花だったが、もう今は一面の新緑の中に白く小さな星形の花が数多(あまた)群れ咲く景を見る事も少ない。
ーーー白妙(しろたえ)は月読の色谷影に 卯の花咲けば水美しきーーー
古歌には今では見られなくなった幻想的な光景が沢山詠まれている。
歌毎にそんな景を想い浮かべられるだけでも、隠者にとって虫喰いだらけの古歌書を漁る価値は十分にあるのだ。
©️甲士三郎