我が幽居は和洋折衷の暮しで畳の和室に文机も本棚もライティングデスクも一緒に置いてある。
和室に合う本棚を探すには結構苦労して、辿り着いたのが大正〜昭和初期に流行った硝子扉の物だ。
書斎も全集の類いや資料などは天井まで埋め尽くすような棚で良いのだろうが、私が集めているのは戦前の俳句短歌詩集の初版本が主なので瀟酒な小型の本棚がふさわしい。
(硝子扉付き小型本棚 大正〜昭和初期)
この大きさの本棚なら置き床代わりにもなり、上に書画や花入を飾れるので和室には丁度良い。
中の本は明治後期から大正〜戦前昭和のいわゆる日本詩歌の黄金期の作品で、本と本棚が同時代のデザイン感覚だから自ずと調和してくれる。
国文学者だった亡父の書庫はスティール製の棚に全集物と学術誌が乱雑に並んでいるだけで味も素っ気も無かった。
戦中派の父の時代は初版本や美麗本を揃える意識は全く無く、本は単に資料情報のための価値しか無かったのだ。
だが現代は単なる資料情報ならデジタルでよくなり、紙の本は邪魔なだけで読んだら即捨てる物とまで成り下がってしまった。
(硝子扉付き本棚 昭和初期)
そのデジタル時代の今こそ逆に、物としての価値が燦然と輝く本がある。
古き良き時代の文化芸術の雰囲気を象徴するような、美麗なる装丁を纏った初版本類だ。
本がまだ贅沢品だった頃は出版社も良い本を作る事に情熱を抱いていて、天金に革やクロスの装丁、手刷木版の表紙絵口絵などで趣向を凝らした本にはその時代の人々の想いが籠っている気がする。
勿論まずは内容が第一で繰り返し読んでも飽きない本に限る。
100年前頃の初版本で概ね高価なのは小説で次いで詩集歌集、俳句集と随筆は大抵がまだ安価で買える。
世の読書家猟書家は本の山に囲まれているだけでさぞかし幸福な事だろうが、時代を経た名著美麗本は祭壇にも似た然るべき場所にお祀りするべきだろう。
(サイドシェル付きライティングデスク イギリス 1900年前後)
洋書棚は英国アンティークのライティングデスクを、同じ和室の片側で使っている。
大正頃の鎌倉人の書斎はこんな感じの和洋折衷様式が多かったのだ。
100年以上を経た古書良書は日本より諸外国の方が高値安定していて、むしろ文明国の中では敗戦後の日本だけが古い文物を大切にしなくなったのだ。
さらに現代日本人は古書古美術はおろか、自然風土に適した伝統の生活文化まで捨ててしまい、子々孫々に伝えて行くべき暮しの美習や叡智などもう誰も知るまい。
常に使っている文机には今隠者が一番気に入っている古画と古書を飾った。
(長坷生篁図 浦上玉堂 随筆集 薄田泣菫)
小品ながら枯淡の味い深き玉堂の水墨画と薄田泣菫の随筆集(前出)を置けば、幾春秋にも我が机辺の清閑を保ってくれよう。
戦前の句集歌集や身辺雑記の随筆を見ると、古き良き高雅な日本の暮しが随所に美しい言葉で描かれている。
隠者はせめてこれらの本だけでも後代の人々に遺してやるべく残生を努めたい。
ーーー炉火昏く火影に古ぶ本棚に 百年眠る詩集句歌集ーーー
©️甲士三郎