寒い季節ほど珈琲はありがたい。
抹茶も良いが珈琲の方が糖分(私は糖質ゼロの人口甘味料)がある分、より身体が暖まるのだろう。
野辺に出て縹渺たる寒気に晒されながら、しみじみと熱い珈琲を味わうのも良い。
近所の草叢に古織部の旅茶碗と牧水の歌随筆を持ち出し、寒稽古ならぬ寒読書で詩魂を鍛えよう。
(黒織部茶碗 江戸時代 旅とふるさと 初版 若山牧水)
古の冬の故園を思わせる枯草の野にしばし佇み隠者流の抹茶碗で喫する珈琲の、悴む両手で茶碗を包み込んだ時の温もりは寒中の至福だ。
隠者が長らく抹茶碗で珈琲を喫していたのは珈琲器に桃山茶陶に匹敵するような格のある物が無いからだが、この掌中の宝玉のような暖かさが何よりも捨てがたかったのが最も大きな理由だ。
牧水の歌紀行と古いアイヌ盆で市塵を離れた旅愁に浸り、たまに射す薄日には待春の情を掻き立てられる。
還暦過ぎてようやく珈琲には古民藝の器が最適だと言う事が、柳宗悦の本と隠者自らの試行錯誤によりわかって来た。
(美と工藝 茶と美 初版 柳宗悦 益子珈琲碗皿 昭和初期)
柳宗悦は亡くなる直前に民藝の器を使った茶会と珈琲の会を計画していた。
それが実現していれば後世の珈琲の良い規範になっただろう。
抹茶に比べて歴史の浅い珈琲道具が我が国で作られるようになったのは大正頃からで、それまでは紅茶用の色絵磁器を使っていた。
しかし紅茶器の貴族趣味的な繊細優美さは珈琲には似合わず、次第に無骨な重厚感のある民藝陶器の方が好まれるようになった。
あまり華美な色絵磁器を使わないのは、桃山時代の茶陶と同じ成り行きだ。
柳宗悦もその辺に目を付けていたのだろう。
昭和初期の益子の珈琲器に春色の玉椿と冬苺の大福(隠者はひと齧りだけ)で待春の珈琲座だ。
昔の茶の湯と同じく珈琲も脱俗の清浄なひと時たり得る。
(雪景山水図 狩野探幽 江戸初期 古瀬戸珈琲器 大正〜昭和)
文人画の自由闊達さに対し、狩野派の画風は厳格さ品位の高さにある。
桃山から江戸初期の狩野派絶頂期にあって更に抜きん出ていた探幽の、しかも冬の山水図の厳しく引き締った画面からは静謐な寒気さえ感じられよう。
この画軸を前に重厚な古民藝で飲む珈琲は、戦国武将達の茶事のような雄渾な気韻を味わえる。
珈琲器は輸出用の古瀬戸の鉄釉でポットは明治に遡るかも知れない。
戦後の作家物は技術的に洗練され都会的あるいは個性的になる代償に、素朴な力強さは無くなって行く。
今日でも民芸は手作りの良さは失っていないが、どんな良い物でもピークは20〜30年程で変容して行くのは仕方ない。
珈琲を最も深く味わえるこの寒中を、精々良き珈琲器と共に楽しみたい。
©️甲士三郎