ーーーまだ何も芽生えては来ぬ鎌倉の 古びし土に浸みる春の陽ーーー
今週末はようやく隠者の待ち望んだ立春だ。
今年はアジア圏の春節が早く来て先週から各国の祝賀イベントがネットに流れていたので、日本の立春が尚更待ち遠しかった。
我国では立春の行事は何も無く各地の寺社の豆撒きも中止だが、隠者はひとり密かに迎春の賀を楽しみたい。
鎌倉で最も早く咲く荏柄天神の梅が、ほぼ例年通り他に先駆けて咲いている。
近年の天変地異、疫病、不況などの禍事を経験して来ると、何事も無く普通に花が咲くだけで幸福だと思うようになる。
また今年の立春には社殿の左右にある紅白の梅が同時に咲き揃ったのも瑞兆だ。
天神は元来雷の祟り神なのに今ではすっかり受験の神へとその身を窶し、この1〜2月が最繁期でテント張りの絵馬書き用テーブルが境内を占めている。
梅の花だけが本来の主人を忘れず歳々の春を告げていて、もうここは天神より梅が主人で良い気がする。
鎌倉が誇る鏑木清方の新春の美人画を飾れば、我が侘び住まいも春らしく華やいだ気分になる。
(若松引き 鏑木清方)
清方の絵は市井の暮しを描いた淡彩の親しみ易い物が多いが、これは平安時代の春の宮中行事を岩絵具で描いた品位ある作品だ。
現代はちょっとその辺で若松引きとは行かないが、我が谷戸で芹や若菜を摘むくらいは出来る。
自然から離れた都会人は心底春を祝う気持ちにはなり難いだろうが、鎌倉では梅が咲きだし鵯や鶯の笹鳴きが聴こえると自ずと人の心も明るく浮き立って来る。
隠者流では旧暦正月に祝ぎ歌を詠み和歌の女神に献歌する秘儀がある。
(衣通姫絵姿 室町時代 九谷梅図徳利 昭和)
九谷の梅模様の瓶に松竹、根来朱杯に御酒で玉津島の衣通姫をお祀りした。
ーーー春立つや階高き舞殿に 顎上げて荒東風の巫女ーーー
儀式の祝ぎ歌は言霊を込めるために和語(やまとことば)を使う。
階(きざはし)、舞殿(まひどの)、顎(おとがひ)、荒東風(あらごち)。
儀式と言っても立春当日に神前でこの歌を詠むだけだ。
それでもこれで十分新春の清雅な気持ちになれるから立派な物だ。
この儀式の後は近所の蕾や芽の膨らみゆく様を見るにつけ日々楽しみが増してくる。
他のアジア諸国ではニューイヤーとは別に春節正月があり家中町中が飾り立てられ、瑞鳥花精の舞踏音曲が催され、親族知人が粧い集う宴に心から春の訪れを喜ぶ。
東洋で日本人だけが寒明け立春を盛大に祝えないのは民族の重大な損失だろう。
諸賢も新暦の新年の何がめでたいのか判らない祝賀とは別に、旧暦の新春迎春の宴を是非にも復活させて頂きたい。
©️甲士三郎