今週はやや涼しい日が続いて、我が谷戸の最高気温も30度ほどとなった。
以前の鎌倉ははお盆過ぎれば大体30度前後の涼しさだったから、少なくとも3週間は真夏が伸びている。
きっとこの先また酷暑に戻る日もあるのだろうが、ほんの数日でも小さい秋を見付けて楽しむとしよう。
近所の路地や空地でいろいろな秋草が風に揺れているのを見る度に、私はノスタルジックな旅愁を掻き立てられる。
(舟板扁額 島崎藤村書)
おそらく江戸時代の物であろう朽ちた舟板に島崎藤村の書で「旅情」と彫られたこの扁額は、いかにも鄙びた旅愁に満ちている。
若い頃の一人旅で田畑の畦などに座ってスケッチしていると、その傍らにはよく秋草の穂が揺れていた。
当時の私の取材旅行は予定も立てず十日から半月ほど山野をさまよった末に、ズボンに草の実を沢山付けたまま、旅鞄の中にも実や種が入り込んだまま帰宅したものだ。
庭の草の実もまた旅で回った美しい田園の秋を思わせる。
(菜穂子 初版 堀辰雄)
この「菜穂子」は堀辰雄の「美しい村」「風立ちぬ」に続く軽井沢シリーズ三部作の集大成となっている。
上の写真の藤村の名作「千曲川旅情の歌」と共に、この本も昔の旅をより美しく思い出させてくれる。
軽井沢や佐久方面は親しい友人がそちらにいた為もあり、毎年のように写生に通った場所だ。
東京がまだ酷い残暑の時期でも、信州にさえ行けば爽やかな秋風の真っ只中で旅情に浸る事が出来た。
近年は老母の介護もあり長旅は出来なくなったが、詩画人にとっては散歩路の草の穂にさえ美は常に隠れている。
(雑草園 葛飾土産 初版 永井荷風)
永井荷風は散歩随筆の名人で、路傍の草花や虫達を良く題材にしていた。
時には小説の中でさえ主人公のストーリーそっちのけで、四季の風物の描写に力を注いでいたりする。
まあ散歩と俳句好きだった荷風ならありそうな事だ。
写真の猫じゃらしや薄なども良く句に詠んでいる。
私も残生では精々足下身辺の小さな自然で自らを慰めるとしよう。
ようやく残暑と呼べる暑さになったが、節季はもう白露なのだ。
昔の老人風に言えば、この夏もどうにか生き延びた。
©️甲士三郎