紅茶用の絢爛豪華な色絵磁器が我が珈琲にはとことん合わないのは前にも書いた。
珈琲にはもう少し粗野で武骨な力強さと桃山茶陶にも対抗出来る古格が欲しい。
そんなこんなで長年悩み抹茶碗や現代作家の物でそれに近いカップを使っていたのだが、最近英国の古いストーンウェアを知ってから日本の古民藝の陶器に目をつけた。
(古民藝珈琲碗皿 唐津ポット 大樋花入 木製コーヒーミル 大正〜昭和前期)
主に戦前昭和の欧米向け輸出用に作られた物で、丁度日本でもようやく一般人に珈琲が広まった頃だ。
従って国産の珈琲用陶器では最初期の物と言えよう。
高値で売れる色絵磁器を技術的に作れなかった地方窯が、陶器のコーヒーカップを作っていた。
ヨーロッパの19世紀はカフェオレが主だったようで、珈琲用のマグカップよりもカフェオレボウルが多く残っている。
(耳付カフェオレボウル フランス 19世紀 左イギリス 19世紀)
このカフェオレボウルに固いフランスパンをどっぷり浸して食べていたのだ。
それなら例の隠者流の抹茶碗で珈琲の方が断然良いだろう。
19世紀ヨーロッパでは砂糖をたっぷり入れるのが裕福さの証で、ティーパーティーでも砂糖を取り分けるのがマダム(女主人)の権威だった。
一方労働者階級は眠気覚ましに濃くて甘く無いエスプレッソをデミタスで一杯引っ掛けて出勤していた。
コーヒーをブラックで飲むのは貧困層と言う訳だ。
試行錯誤の末に定まった私のコーヒースタイルのスタンダードが下の写真だ。
(益子珈琲碗 昭和初期 瀬戸ポット 明治〜大正)
珈琲の卓上を明治末から昭和初期の物で揃えて、ようやく我が和洋折衷の暮しに溶け込んでくれた。
珈琲器に古格を求めれば結局この頃の道具に落ち着く。
皿には茶菓子ではなく荒庭に落ちていた小梅。
本は高浜虚子の小説「風流懺法」。
これらはみな日本のちょっと良い家にはまだ文化的芸術的な生活が残っていて、四季の美しき気候風土の中でお茶や珈琲の時間を楽しんでいた時代の遺物だ。
前回の茶菓子の選定と合わせて珈琲器類もだいぶ充実して来た。
道具も色々と吟味しながらそこそこ揃ったので、隠者流珈琲道は季節の折々にでもまた紹介して行こう。
©️甲士三郎