鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

付録(1) 『隠者歌集』甲士三郎

2023-06-08 13:28:00 | 日記



(雪月花扁額 富田渓仙筆)

当歌集百首の眼目は古き抒情の回復と自娯独楽の風雅にありて、鎌倉文士らの黄金期なる大正の夢幻境へも到らむとて企てし物なり。

還暦前後よりの近作を主としつつ、亡き師父を偲び旧作も幾つか混ぜをく。

当世流行の極北を行く歌風なれど、折々の小閑にも御笑覧あれ。


『隠者歌集』 甲士三郎

  春

春や春階高き舞殿へ 顎上げて荒東風の巫女

花落としまた花落とし大木の 椿の中に隠れ棲む鳥

梅の精椿の精と暮らしたる 花入遺る夢跡の庵

古の影を描かぬ筆法で 永遠に明るき花の姫神

歌ひとつ詠めばいつしか魂の 還る辺に花ひとつ咲くらむ

暁の古都が紫紅に染まる時 現の春に目覚めよ乙女

後の世に恋歌残しうち臥せる  衣通姫の絵姿哀し

老画家よ病癒えれば街に出て 世界の色を塗り替へるべし

生まれ来て初めて眼開く朝  仔猫を包む乾坤の蒼

春の野に古き歌集を持ち出して 古き悲しみ花もて飾れ

佐保姫の春な忘れそ都人 花咲く大路巫女舞ふ大社

散る花の風の流れに定めあり 流れの果に我が画房あり

町中の花が一気に散る宵は 駆け抜け過去へ泣きに行くべし

鎌倉の一番端に花咲かす  嫗の庭へ通ふ歌鳥

うす紅は紅より傷み易き色 雨降りがちな荒庭の花

那辺まで幾曲りして霞みゆく 桜堤よ花の都よ

朧灯の橋を渡れば濁世から  遁れるに良き花陰の谷戸

金砂子煌めく中に常春の  花喰鳥を封ぜし蒔絵

目覚めよと目蓋を透きて春日さす  夢の桜を探す絵の旅

篝火の崩れて火の粉舞上がり 散りゆく花の刹那を照らす

水底に花屑鎮め日は薄れ  時の終りはかくありぬべし

もう何も起こらぬ所水底は  冷たく保つ花の白妙

とこしへに散らぬ桜を描く画家の 狭庭の春を終らす嵐

藤棚の上は密かに光満ち 友鳥集ふ紫浄土

上古より詞の意味はうすれ来て 鳥の囀るやうな祝ぎ歌

  夏

夏木陰くれなゐ兆す豊耳の 文学少女恋に賢く

三方を山に塞がれ青葉冷え 鎌倉人は沖を眩しむ

薔薇園の錆びて開かぬ門の奥  秘して育てる貴種の若苗

花越しに交はす黙礼秘めやかに  嵐近づく薔薇の奥津城

暗がりに毒色躑躅咲く道を 杖に縋りて夜明けへ歩む

傾きて雨に耐えをる黄あやめの 川面に触れる葉先震へて

谷水の響き絶えざる美里に 育ちたる児は笛吹きとなり

花買ひに週に一度は街に出む 世捨人とて街は恋しく

朽ち果てる土塀を覆ひ茅花咲く  旧き世界の定め通りに

仄暗き小園の書庫に千万の 詩歌を集め薔薇で囲へり

黎明の暗き緑に浮き上がり 朝を漂ふ野辺の白花

鎌倉の古き土より咲き出でて 仮の世色の紫陽花淡し

うつし世の色に移ろふ紫陽花の 四ひらを留める一玉の碧

暗みより光の世へと湧き出でて 水耀けば神話潤ふ

絵に遺る大正は皆美男美女 子等は純情天地は有情

古き良き美しき世がまだあれば 美しきまま詩中に隠せ

寺跡の久遠に朽ちぬ石組の 草間に育つ夢色蜥蜴

夕月の水面明りに羽虫舞ふ 池のみ遺し失せし大寺

笛太鼓童児に任せ夏祭 東夷の造りし都

炎昼の光に眩む路地の奥 ダリア燃え立つ幻の庭

陽に当たるたび少しづつ色褪せて 古き挿絵の純情少女

星辰の座に着く夕べ時は満ち  浜辺に出会ふ猫と老人

漣も風も光も止めどなく 寄せ来る岸に涼しく老いぬ

風鈴の澄みし音色を二階より 俗世に降らす六地蔵辻

夏の果紫金の空に星出でて 薔薇の世話する黄昏永し

  秋

七夕や水豊かなる鎌倉の 七つの谷戸の文士らの裔

雨上がり蜩の声黄金の陽 億万粒の滴る故園

いそいそと蜜吸ふ時も羽動く 秋の揚羽に時は迫り来

美しく歩む姿を保つべし  竜胆の路地芙蓉の小径

わたつみを星風渡る鎌倉の 大路小路に灯る迎火

乙女達事無く恋も無き秋の 桔梗の深き青さに耐えよ

首傾げ人に聴こえぬ幽かなる 聲を聴きをる小鳥の仕草

若き日に戻してくれる曲ありて 見慣れし窓の外はまた秋

湯に浸かり眼を閉じて虫の音の 闇の楽土に癒す硬骨

八百年の夜を経て波が吐き出せし  遥かな国の青き陶片

終焉の夕焼色に身を染めて  老の呟く英雄叙事詩

虫の音は高まり星は巡りだし 野辺の仏は半眼半夢

上に雲下に水湧く山かげの 幽居に老いし詩人の獣語

竹間を茶烟の昇る月の庭 客は無くとも今宵は詩宴

今の世を有明月の照らしをり 史書の中より戻り来し朝

美しき旅人ひとり鎌倉の 秋咲く薔薇に顔寄せて

ランタンが魔法の如く灯る路地 雨に潤みて「カフェ浪漫主義」

廃園の門柱だけが残されて  野に溢れ出す苑の八千草

一の二の三の鳥居と聳え立ち 若宮大路月へ通ぜり

灯火に四塞の闇の押し寄せる 山家に寂と古狩野の軸

うしろ手に持ちて昨日の菊捨てに 庭の最も秋深き隅

金色の銀杏を散らす銀色の 雨が降る街学生時代

銀杏散る一行の詩の黄金の 言葉の零れ散るが如くに

露の世に父の遺せし庭荒び  濡れて現る石の幻色

溜息の如き声にてふるさとの うた歌ふべし老いて震へて

  冬

その町は枯葉でさへも美しき 文士の時代鎌倉の町

草は伏し獣は隠れ冬来たり 五山七谷鐘打ち鳴らせ

枯れ尽きし後の芒は金色の  冬陽の中に尊く乾く

小春日の筆遅々としてうつつ無く 身の虚にぞ陽溜りあらめ

樹々枯れて音色さまざま風に鳴り 天降りて来ませ楽の諸神

門脇に迫り山水流れをり 詩魂はいつか山に呑まれむ

蛾眉鳥の四季の最後の歌幽か 冬も緑の竹林の奥

罅傷の幾百年を生き伸びし  古き碗もて露命を繋ぐ

たんまりと木の実を隠し落葉積み 谷戸は豊かに冬籠りをり

荒箔の天の裂目も剥落も 古色に埋まり合戦屏風

石仏が風を鎮める切通し 鑿跡粗く古都を護りぬ

紅を世から葬り去る雪の  天駆けて来し山茶花の園

年一度雪降る夜に現れる 我が青春の頃の街の灯

動く物もう何も無く煌めくは 悲運の皇子の凍れる社

炉火昏く火影に古ぶ本棚に 幾年眠る夢幻詞華集

たまさかは灯影揺らして踊らばや 冬を籠りてひとり酔ふにも

月光を五彩に分かち華やげる ひとひらの雲凍夜に浮かぶ

雪降りて雪降り積みて天地に 我の息する音しかあらず

降る雪は恋人達をこの街を  白く冷たく包みて許す

古の楽土の瓦礫一つづつ 拾ふが如く古歌読み覚ゆ

経机千年磨ける漆黒に 雪を映して年の暮れゆく

初買いの古書店巡り楽しけれ 抒情詩集の夢二の表紙

源氏絵を飾りて永遠に物語  終るなかれと春を待つ家

舞姫の息の緒白く春待つに  梅の蕾は花より紅し

美しく猛く言の葉舞はしめよ 三十一文字の想ひ透くまで


20236月 ©️甲士三郎



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