近年は中秋の名月とは言え9月はまだまだ暑いので、我家の本格的な月見の宴は10月にしている。
今週の私は暑さ負けの体調不良もあり、古画や詩歌の月を冷房の効いた屋内で音楽と共に眺めて過ごそう。
先ず玄関には毎年恒例の田能村竹田の夜漁の詩画軸だが、これまでと違うのはこのシーンに合わせた音楽により没入感が格段に深まった事だ。
(夜漁画讃 田能村竹田 絵唐津酒器 江戸時代 李朝燭台)
BGMにショパンのノクターン(夜想曲)など落ち着いたピアノ曲を掛ければ、月夜の詩宴をより高雅な味わいにしてくれる
竹田のこの一幅は水面を渡る涼風が画から吹き出して来るような詩情溢れる景で隠者好みだ。
東洋の伝統では漁樵問答等にも見るように、木樵や漁師は在野の賢人を象徴している事が多い。
画中の古人達と風月を語り合う良夜は、世捨人にとっては大事なイベントなのだ。
左上の画讃の七絶詩もなかなかファンタジックで良い。
「水鳥聲寒月隔煙 菰蘆叢裏小漁船 深宮此夜非態夢 落否釣竿三尺前」
清雅な月明かりの窓辺で読むべきはこの句集だろう。
(枇杷園句集 井上士朗 江戸時代 織部湯呑小皿 山越籠 幕末明治頃)
月をこよなく愛し沢山の月の句を残した井上士朗の句集だ。
「蟹が家を覗きて歩く月夜かな」士朗
「萬代や山の上よりけふの月」 同
「宵宵に来るものなれば月を友」同
詩人なら「月を友」などは当たり前過ぎて陳腐なほどだが、逆に現代人こそは古人達の至った離俗友月の境地を見習えば、俗忙間にも少しは静謐な安息を得られるだろう。
例えばこれが西洋ファンタジーなら月下の焚火に吟遊詩人らが集っているような場面だが、月の幻想詩は西洋より東洋の方が歴史が深く洗練されているので、その程度だといわゆる月並みと言われてしまう訳だ。
この句集の雰囲気には意外にもラフマニノフのヴォカリーズがぴったりで隠者を幽玄の世界に誘ってくれ、他にも「秋風や舟から舟へ飛ぶ鴉」など秋の良句が多いのだ。
中華文化圏で最も重要な祭りは春節と中秋節で、およそ1週間の休暇中に盛大な宴を催す。
中国では先日のパリオリンピックの開会式より遥かに美しい歌舞音曲の祭典があり、私も毎年その中継を楽しみにしている。
ここ10年ほどの中国の音楽の進歩は恐るべき勢いで、欧米諸国がメロディーの無いヒップホップに蹂躙されて行く傍ら、クラシック、ポップス、民族音楽など各分野の優れた音楽家が沢山育っている。
先年は世界的なピアニストに育った郎朗(ラン・ラン) の繊細優美な鋼琴(ピアノ)演奏が実に見事だった。
また数年前の別番組では古き良き日本のアイドル河合奈保子の「ハーフムーンセレナーデ(月半小夜曲)」が、李克勤と周深の類い稀な美しいデュオで復活していた(YouTube参照)のには驚いた。
省みて日本では個人や寺の観月の他は国を挙げた風雅の催しが皆無なのが淋しい。
今年は異常気象のせいか鎌倉の山々でも蜩の声がほとんど聴かれなかった。
私も情けない事に長引く暑さによる両手の慢性的な腱鞘炎と、先月からは足の肉離れのための運動不足で血糖値も下がらず、己が体調管理さえままならない。
美しき詩歌や清涼な音楽のお陰で精神だけは暑に耐えているが、1日でも早い涼秋の訪れを待ち望むばかりだ。
追記
先日は真田広之主演監督の「将軍」がエミー賞で18冠を達成したが、残念ながら世界の中で日本人だけがほとんど見ていない。
茶や連歌等の伝統文化を見事に再現し幽玄な映像を作り上げた、日本時代劇の最高傑作とも言えるので是非ご観覧あれ(ディズニー・プラス)。
©️甲士三郎