鎌倉の遅い秋も徐々に深まり酷かった体調もかなり良くなった所で、今週もまた古筆を飾り古の歌友らを呼んで夢幻境に遊ぼう。
小倉色紙などの名筆で有名な藤原定家だが、それと同時に個人的な日記や覚書での悪筆もまた有名だった。
実は我家にもその悪筆の方の定家切なら一つある。
(伊勢集書写切 藤原定家筆 平安末頃)
「春事に花の鏡となる水は 散りかかるをや曇ると言ふらむ」伊勢
定家が伊勢集数首を写した走り書きで、例の悪癖の強い筆跡と紙の時代から判別し易い歌切だった。
幽玄論は定家以前から唱えられて来たが、定家自身は幽玄体より有心体の歌を最上の物と思っていたようだ。
加えて父俊成の閑寂を良しとする幽玄論も混ざり後世の者達が定家の歌論を勘違いした節がかなりあって、そのせいで定家直系の二条流の和歌は幽玄より有心体が主力となっていく。
ーーー秋影に古び掠れし歌切の 灯色を映す恋の崩し字ーーー
歌学の面ではやはり定家の言葉は絶大でその後継の二条家により江戸時代まで影響を与え、この隠者も二条流の相伝は受けているのだ(前出)。
(二条流口伝書写本 江戸初期 黄瀬戸茶碗 古美濃花入 江戸初期)
定家の唱えた有心体は過去の類型に陥っていた感情表現を実感ある詞に変え、なお深みがあり奥ゆかしい心持ちを幽玄と評している。
写真はその定家以来の有心体歌論を伝える二条流「五儀六體」口伝書。
今でも和歌の入門初学に限れば、余分な近代思想に汚されていないこの書の純粋さは価値がある気がする。
しかしながら彼の百人一首の選は全く頂けない。
元々百人一首は定家が似た歌を二首づつ五十組集めた集にすぎず、彼自身他にも他に依頼人の好みに応じた百首選集が幾つもある。
特に名作選でも無いこの百人一首ばかりが有名なせいで、今の世に和歌はつまらない物だと思われているのが残念だ。
ーーー荒庭に金木犀の香の満ちて 一生(ひとよ)に読めぬ程の書もありーーー
私には百人一首よりも中世幽玄体の新古今集、続古今集、玉葉集風雅集の方が遥かに好みに合う。
(短冊貼混軸 藤原家隆他 古瀬戸花入残欠 鎌倉時代)
写真は定家と並び称された歌人で共に新古今集の撰者を務めた藤原家隆らの歌短冊貼混ぜだ。
昭和初期に正岡子規の後のアララギ派が自分達の稚拙な写生論を持ち上げるために新古今集をこき下ろした論調は、今見ると全く歌論にもなっていない只の罵詈雑言に聞こえる。
しかしその後の国粋主義の台頭と共に起こった万葉集ブームにも流され、新古今集やそれに続く中世幽玄和歌は顧みられなくなって行く。
ーーー古庵の落葉に埋まり灯に籠り 歌詠み交はす我と我が影ーーー
中世と変わらぬ鎌倉の山々の秋景は、日々の散歩時にも古の歌人達の想いを伝えてくれる。
来週は新古今集評釈の決定版である本居宣長の「美濃の家つと」を伴えて、夢幻の中世和歌世界をじっくり味わおう。
©️甲士三郎