今後の未来では鎌倉に雪が降る事は滅多に無くなるのだろうか。
古来から雪月花と言うように雪は日本の美を象徴する一つだ。
豪雪地域の人々には災害でしか無かろうが、鎌倉や京都の雪景色は心底美しいと思う。
その三大日本美の一つが今年は全く見られなかったのは残念だった。
その代わり梅は例年に無く立春前にだいぶ咲き始めてしまった。
写真は源実朝も歌に詠んでいる荏柄天神に早くも咲き出した白梅。
我家の正月は旧暦でやっているので、梅が咲けば立春を喜ぶ気分も盛り上がる。
中華文化圏では西暦の新年とは別に盛大に春節を祝うのに日本では何もやらないのが寂しく、近年の隠者は中国のお祭りをネットで見ながら正月気分に浸るようになった。
日本でも江戸時代までは立春が正月だったから、古詩古歌などは皆立春や梅を詠んだ物が沢山残っている。
隠者にとっても何のめでたさも無い新暦の新年より、実感として花咲き自然と共にある旧正月の方が遥かに嬉しい。
床飾りも当然寒梅の書画だ。
(梅花画讃 田能村竹田)
竹田の詩は品格があり正月飾りにはうってつけだろう。
最近の勉強で江戸時代の漢詩もだいぶわかるようになり、菅茶山や頼山陽らの江戸版の詩集も揃って来た。
彼らが如何に春の到来を喜んでいたか、現代の一年中冷暖房完備で自然や花鳥から遠ざかった生活からは想像も付かないだろう。
その分古人達が春に見る夢は美しかった。
谷戸の野梅も咲き出し、特にこの薄紅梅の木には梅の精が宿っているのではないかと思うほど可憐な色で春を告げてくれる。
長年色々な梅を見て来ると、庭や神社の手入れされた木より自然のままの野梅が好ましくなって来るようだ。
鶯や目白も声はまだ笹鳴きながら、盛んに花の蜜を吸いに来ている。
この隠者にとってはこの花精の宿る木の周りは麗しき春の花鳥の楽園に見えるのだ。
ーーー世に隠れ薄紅梅に傅(かしづ)かれーーー
この冬は庵に籠って漢詩の勉強していたので、立春には是非とも古人を真似て詩を詠み春の女神に捧げなくてはなるまい。
立春の宴の拙吟、ご笑覧あれ。
迎春
紫暮紅燈聴笛琴
梅詞桃唄競花心
歓亭一座傾壺底
静苑群星垂樹陰
©️甲士三郎