御近所の庭に種々咲きだした花を見に散歩のコースも日々変わり、仲春啓蟄は嬉しくも気忙しい季節だ。
日本古来からある花にはそれぞれ古人達の想いが籠っていて、それらを描いた数々の名作も思い起こされる。
我が門前の土手に菜の花が咲くと、詩画の取材で巡った大和の路傍によく咲いていたのを思い出す。
(大和 初版 前川佐美雄 銀製喫煙具 大正時代)
「春がすみいよよ濃くなる眞晝間(まひるま)の なにも見えねば大和と思へ」前川佐美雄。
この歌の大和は今の観光地の奈良大和路ではなく、スピリチュアルな古代大和の事を言っている。
私も若い頃に春は毎年のように奈良方面に通っていて、今思えばこの歌に詠まれたような大和の聖性を感じ取ろうと彷徨っていたのだろう。
戦前までの日本の風土には神仏も精霊も当たり前に存在していて、大和国原はそれが最も濃く感じられる場所だった。
敗戦後の日本人は国家神道と共に土着の自然信仰や古来からの風習をまとめて否定した挙句、父祖重代の己が魂までも失ったのだから愚かと言うほか無い。
大和桜井生まれの思想家、保田與重郎の生涯ただ一冊の歌集も良い。
(木炭木母 初版 保田與重郎 黄瀬戸徳利杯 江戸時代)
「三輪山のしずめの池の中島の 日はうららかにいつきしま比女(ひめ)」保田與重郎。
いつきしま比女(市杵嶋姫命)は水の女神で、如何にも日本浪漫派の旗手らしい美しくファンタジックな歌だ。
我家にはこの歌の掛軸もあり(前出)、彼の書も中々良くて花鎮めの時には必ず飾っている。
私も三輪山を山辺の道の傍らの小さな桃畑から写生した日などは、聖域の光に包まれて至福のひと時を過ごせた。
また保田與重郎は万葉集研究の著書もあるほど古歌に傾倒していたが、文庫版の万葉集は隠者も旅のお供に良く持って行った。
「春の苑紅にほふ桃の花 下照る道に出で立つ乙女」大伴家持。
この歌の乙女とはギリシャのニンフやミューズと同類の精霊なのだが、その辺は20世紀の物質文明に染まった老人達より今のアニメやゲームでファンタジーに親しんだ若者の方が感受し易いだろう。
最後は斑鳩に行こう。
(直筆色紙 鹿鳴集 初版 会津八一 古備前蕪徳利 桃山時代)
「厩戸の皇子の祭りも近付きぬ 松緑なる斑鳩の里」会津八一(原作は全てかな書き)。
この歌が載っている八一の「鹿鳴集」には数多くの奈良大和路の秀歌が並んでいる。
聖徳太子の命日は旧暦の2月22日で、法隆寺の周りの長閑な田園は椿や桃の花盛りの頃だ。
私もたびたびその時期に斑鳩の里を訪れ、菜花萌える畦に座って遠景の五重塔や法起寺の塔を色々な方角からスケッチしたものだ。
寺の中は観光客で混雑していても少し離れた田畑には誰も来ず、春の陽の降り注ぐ麗らかな田園に私と花の精がいるだけの夢のような日々だった。
今は旅にも出られず鎌倉の幽居に籠るばかりの、老いたる旅人の一句も末尾に添えておこう。
ーーー常昼の菜の花路を終の旅ーーー
©️甲士三郎