平成24年8月24日(金)~26日(日) ペテガリ岳
遅い夏休みをとって会のメンバ3名とペテガリ岳に行ってきた。この山に登るためにはペテカリ山荘への山越え移動を含めると3日がかりのハードな山行となる。

(出発前の様子、この時はみんな元気)
一日目 曇り時々雨
初日は、神威山荘手前の林道脇にクルマを駐車し、沢を遡行して一山越える。ガイドブックでは沢靴を勧めているが、川幅も狭いため登山靴で問題ない。標高を上げて行くに従って水の流れもなくなり、最後は笹に掴まりながら滑りやすい土の急斜面を登りきると標高660のコルにでる。コルを越えた反対側の下りは、ちょろちょろ流れる沢を終始笹を掻き分けての前進となるが、ポイントポイントにピンクのテープがつけられ迷うようなことはない。沢を抜けた後の約5キロの林道を歩いて、午後3時過ぎにやっとペテカリ山荘に到着した。2階の片隅に場所を確保し荷物整理をしていると、雨の中ペテガリ岳から下山してきた登山者で、当日の山荘滞在者は20名ほどになった。初日はMさんの作った豚汁とアルコールで翌日に控える長時間山行への前祝をして7時過ぎには床に入った。

(トイレと炊事場には電気が点き、夜でも安心して利用できます)
二日目 曇り時々雨
翌朝、下山する10名ほどのツアーパーティ(ノマド、登山者はほとんど道外)を見送って、5時に山荘前の登山口を出発した。空は厚い雲で覆われていたが、8月末の割には蒸し暑い陽気で標高差600メートルの1050Pにたどり着いた時にはバテバテ、口を利くのも大儀な状態となっていた。さらに何箇所かのピークを越えた中間点1293Pでの私の疲れた様子を見かねたメンバが、エナジージェルという飲み物?を勧めてくれた。バリウムのようなドロドロしたもので決して美味しくはないのだが、確かに効果はあった。

(1050Pからわずかに眺めることができた1839峰)
1301Pを100メートルほど下ってからの標高差500メートルの最後の急斜面、2回ほどニセピークに裏切られながら登りきった先に遥かなるペテガリ岳があった。残念ながら雲が覆っていて1839峰やヤオロマップ岳などの山座同定はできなかったが、ペテガリ岳に登ったという満足感でいっぱいだった。暗くならないうちに戻るため、30分にも満たない滞在ですぐに下山を開始した。

(何度も騙されての最後の登り)

(やっとこの看板に出会うことができました、だいぶ色あせています)
帰りも何箇所かの登り返しを繰り返しながら、長い長い行程を辛抱強く歩きペテカリ山荘に到着したのは薄暗くなりかけた17時過ぎ、足も限界に近いところまできていた。当日の夜は、ペテガリ岳登頂を祝って9時頃まで宴会をしたが、...
空腹状態でかなりの酒を飲んだことが原因だったのだろう、シュラフに入ってから胃がムカムカしてきたので、途中で起きて喉に指を突っ込み強制的に胃の未消化物を嘔吐した。胃もなんとか落ち着いたのでシュラフに入って寝ようとしていた矢先、今度は突然山荘がガタガタ揺れ出した。山荘が倒壊するのでは思うほどの揺れ(後で聞くと震度5)は10秒以上続いたが、M松さんの”大丈夫、大丈夫”という声でパニックにならずに済んだ。まあ、いろいろあった夜だった。

(最終日の雨上がりの朝、ペテカリ山荘に別れを告げるTリーダ)
三日目 曇りのち雨
次の日の朝、地震で林道が崩壊している可能性を心配して、釣り目的の4人組が急いで荷物を片付けて出発していった。我々も6時半に山荘を後にした。林道を過ぎた先の沢ではピンクのテープに頼り過ぎて、二股に分かれるところで間違った方向に進んでしまった。間違った先には人が歩いた新しい足跡が残されていて、それに引きずられてしまったのだが、コンパスを切って進んでいれば誤ることはなかったミスである。途中から雨が降ってきたが、もう最後なので濡れながら歩いて10時過ぎにクルマ止めにやっと到着した。

(長い林道を歩いている途中、鹿の親子が見送ってくれました)
帰りの林道には地震の影響と思われる岩石が方々に転がっていたが、なんとか通過することはでき、途中の三石温泉で3日分の汗の垢を流して帰宅した。本当に長い長い、あっという間の3日間であった。
遅い夏休みをとって会のメンバ3名とペテガリ岳に行ってきた。この山に登るためにはペテカリ山荘への山越え移動を含めると3日がかりのハードな山行となる。

(出発前の様子、この時はみんな元気)
一日目 曇り時々雨
初日は、神威山荘手前の林道脇にクルマを駐車し、沢を遡行して一山越える。ガイドブックでは沢靴を勧めているが、川幅も狭いため登山靴で問題ない。標高を上げて行くに従って水の流れもなくなり、最後は笹に掴まりながら滑りやすい土の急斜面を登りきると標高660のコルにでる。コルを越えた反対側の下りは、ちょろちょろ流れる沢を終始笹を掻き分けての前進となるが、ポイントポイントにピンクのテープがつけられ迷うようなことはない。沢を抜けた後の約5キロの林道を歩いて、午後3時過ぎにやっとペテカリ山荘に到着した。2階の片隅に場所を確保し荷物整理をしていると、雨の中ペテガリ岳から下山してきた登山者で、当日の山荘滞在者は20名ほどになった。初日はMさんの作った豚汁とアルコールで翌日に控える長時間山行への前祝をして7時過ぎには床に入った。

(トイレと炊事場には電気が点き、夜でも安心して利用できます)
二日目 曇り時々雨
翌朝、下山する10名ほどのツアーパーティ(ノマド、登山者はほとんど道外)を見送って、5時に山荘前の登山口を出発した。空は厚い雲で覆われていたが、8月末の割には蒸し暑い陽気で標高差600メートルの1050Pにたどり着いた時にはバテバテ、口を利くのも大儀な状態となっていた。さらに何箇所かのピークを越えた中間点1293Pでの私の疲れた様子を見かねたメンバが、エナジージェルという飲み物?を勧めてくれた。バリウムのようなドロドロしたもので決して美味しくはないのだが、確かに効果はあった。

(1050Pからわずかに眺めることができた1839峰)
1301Pを100メートルほど下ってからの標高差500メートルの最後の急斜面、2回ほどニセピークに裏切られながら登りきった先に遥かなるペテガリ岳があった。残念ながら雲が覆っていて1839峰やヤオロマップ岳などの山座同定はできなかったが、ペテガリ岳に登ったという満足感でいっぱいだった。暗くならないうちに戻るため、30分にも満たない滞在ですぐに下山を開始した。

(何度も騙されての最後の登り)

(やっとこの看板に出会うことができました、だいぶ色あせています)
帰りも何箇所かの登り返しを繰り返しながら、長い長い行程を辛抱強く歩きペテカリ山荘に到着したのは薄暗くなりかけた17時過ぎ、足も限界に近いところまできていた。当日の夜は、ペテガリ岳登頂を祝って9時頃まで宴会をしたが、...
空腹状態でかなりの酒を飲んだことが原因だったのだろう、シュラフに入ってから胃がムカムカしてきたので、途中で起きて喉に指を突っ込み強制的に胃の未消化物を嘔吐した。胃もなんとか落ち着いたのでシュラフに入って寝ようとしていた矢先、今度は突然山荘がガタガタ揺れ出した。山荘が倒壊するのでは思うほどの揺れ(後で聞くと震度5)は10秒以上続いたが、M松さんの”大丈夫、大丈夫”という声でパニックにならずに済んだ。まあ、いろいろあった夜だった。

(最終日の雨上がりの朝、ペテカリ山荘に別れを告げるTリーダ)
三日目 曇りのち雨
次の日の朝、地震で林道が崩壊している可能性を心配して、釣り目的の4人組が急いで荷物を片付けて出発していった。我々も6時半に山荘を後にした。林道を過ぎた先の沢ではピンクのテープに頼り過ぎて、二股に分かれるところで間違った方向に進んでしまった。間違った先には人が歩いた新しい足跡が残されていて、それに引きずられてしまったのだが、コンパスを切って進んでいれば誤ることはなかったミスである。途中から雨が降ってきたが、もう最後なので濡れながら歩いて10時過ぎにクルマ止めにやっと到着した。

(長い林道を歩いている途中、鹿の親子が見送ってくれました)
帰りの林道には地震の影響と思われる岩石が方々に転がっていたが、なんとか通過することはでき、途中の三石温泉で3日分の汗の垢を流して帰宅した。本当に長い長い、あっという間の3日間であった。