お経の意味を説明して
一昨日、2月1日の朝日新聞 声欄に77歳女性から「お経の意味 わかるよう説明して」という投稿が載っていました。「若い頃から葬儀のたび、お経が何を言っているかわからないと思っていた。お坊さんに聞いてみると『意味は難しくて、伝えられない』。 お坊さんでも難しい内容を庶民が聞いてもわからないだろう。仏の教えを心に届くように話してほしい」というものでした。
数年前、同じ声欄に「お経の翻訳装置が欲しい」と投稿がありました。意味が分からないお経を聞いて、なにがありがたいのかというものでした。
私も常々同じ思いをしていました。法事の小一時間、これが儀礼というものだろう、滔々と流れるお経を聞きながら故人を偲び、思いを馳せ、故人の生前を振り返り、それが亡き父母、祖父母の法事であれば、そうすることが家風の継承につながるのだろう、と自分を納得させていました。
お経は死者に対するものではなく、今いかに生きるか、どうやって幸福になるかを教えています。お経を聞いてその意味がわからなければ、それこそ、意味がないことになります。
2019年8月から9月にかけて寺院住職の情報専門誌「月刊住職」に「聞いて意味不明の漢文読経のままでよいのか」という特集が組まれました。
お坊さんも“聞いてもわからないお経”に問題意識は持っておられるようです。
各宗派著名のお坊さん10名がお答えになっています。
※ 檀信徒向けにはもう和訳の経典を読もう
※ 意味が分かるくらいの読経を工夫したい
※ 我いのちがけ、ただ、実践、実行あるのみ
※ 現代僧侶はこれまで以上に「看経の眼」を
※ 意味よりも身体的に共感できる読経を
※ 参列者全員で合誦できるようなのがいい
※ 「言葉ばかりは読めども心は読まず」とは
※ 僧侶も意味不明で本当にありがたいのか?
※ 真言は唱えることに意味があります
※ 信じる宗教から目覚める宗教に
まさに十人十色、いろいろな見解が述べられました。
しかしほぼ全員が信徒に意味不明のお経を唱えるだけでよいのか、と感じておられるようです。
お経は聞いてすぐ理解できるものが理想なのでしょう。
先日読んだ伊藤 比呂美著「いつか死ぬ、それまで生きるわたしのお経」ではお経の和訳を紹介していました。できないことではないと思います。
今までの経緯から急に葬儀の席で和訳のお経を称える訳にはならないでしょうから、経本に付し参列者に配布するとか、法話の際にお坊さんがお経の意味を説明していただければ、投稿者の方々も納得されるのではないでしょうか。お経一巻すべてをお話することは無理でしょう、その中のワンポイントあるいはワンフレーズで十分だと思います。
そのうちに お経翻訳装置なるものができ、参列者がヘッドホンをつけるようになるかもしれません。
同じ1日の読売新聞に日蓮宗妙性寺の住職 近藤玄純さんの記事が載っていました。「亡くなった方の供養をすることも重要な役割です。でも、生きている人の苦しみを取り除いたり、軽くしたりすることも同じくらい大切」とおっしゃられています。