2024 12月20日 (金曜日) 晴 寒い!
読売新聞主筆の渡辺恒雄氏が亡くなった報道が・・
岸田前首相は、渡辺氏が開成高校の先輩にあたり、
父親が渡辺氏の高校の同級生だったことに触れ、
「若い頃から大変親しくご指導いただいた私に取って大きな存在だ。
言論人、マスコミ人として大きな影響を日本の戦後の歴史において残された方だった。
一つの時代が終わったと感慨深く思う」と語った。
====================================
🔵驚いたというより、やはりそのようになったか!
ホンダと日産の経営統合だ。
お互いにメリットがあるのであろうか疑問。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
きっと政府の提言もあったであろうなあ~!
正式に決まってはいないが・・・どうなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★個人的な感覚では・・どちらの会社にも半導体製品を納めていただけに
品質保証の案件には非常に厳しい会社であった・・・
企業風土が全く違って感じた。
そんな事を思い出しながら今回の
経営統合の先を見聞きしたい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
早速新聞は・・
中國新聞 コラム 天風録には
ホンダと日産
「田舎のベンツ」とも呼ばれる、
日本生まれの軽トラが欧米で人気を集めている。
円安でお値頃の上、小回りが利き、燃費のよさも好評らしい。
海外のクルマ市場には、まだまだニーズが眠っているのだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲ただ、売れ筋の潮目はおいそれと読めない。
14年前、世界初の量産型電気自動車を発売したのは日産である。
当時、カルロス・ゴーン社長は「盟主」気取りだった。
その売れ行きも今や減速し、
★日産は従業員9千人削減を余儀なくされる苦境にある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲背水の陣から活路を見いだす一策だろうか。
ホンダとの経営統合について、日産が検討していることが明らかになった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
きのう日産の株価は値幅制限いっぱいまで上がった。
重荷になると受け止められたのか、逆にホンダ株は下げた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲成案を得て、相乗効果を生むまで壁は高かろう。
何より企業風土が違う。
ホンダは、夢を原動力にした創業者本田宗一郎譲りの独創性にこだわる。
その「らしさ」を愛好者も買うのでは
▲ゴーン氏の報酬隠しと国外逃亡で、日産ブランドは深く傷ついた。
「技術の日産」と褒めそやされた栄光の日々も今は昔のようだ。
「らしさ」は何なのか。原点を見つめ直す好機でもあるのだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
毎日新聞 余録には
モータースポーツの黎明期だった…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
モータースポーツの黎明(れいめい)期だった1964年。
🔵第2回日本グランプリでプリンス自動車のスカイラインGTが一時、
ポルシェを抜いてトップに立ち、観衆を沸かせた。
🔵ホンダは最高峰のF1に初参戦した。
「自動車王国」の基礎ができつつあった。
▲日産がプリンスと合併したのは66年。完成車の輸入自由化に対応を迫られた。
トヨタも他メーカーとの提携で体質強化に動き、日本市場に参入できた外国車は限定的だった
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲70年代は排ガス規制と2度の石油危機が自動車産業を揺るがせた。
米国の厳しい規制を初めてクリアしたのがホンダ。
小型、低燃費の日本車が世界市場を席巻し、80年に生産台数が世界一になった。
▲それ以上の変革期だ。脱炭素化で電気自動車(EV)への移行が進み、
人工知能(AI)利用の自動運転技術も飛躍的な発展を見せる。
米テスラや中国の比亜迪(BYD)など新興メーカーのEVにシェアを奪われ、
昨年の輸出台数は中国に抜かれた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲ホンダと日産の経営統合協議は必然の帰結。
日産傘下の三菱自動車を加えれば世界3位の規模という。
デジタル化推進には巨額の開発資金がかかる。
生き残るにはスケールメリットも必要になる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲戦前、トヨタと同時に初の自動車製造認可を受けた日産。
創業者の個性を受け継ぐホンダ。
企業文化は異なるがどちらも技術力を売り物にしてきた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
スカイライン、フェアレディZ、シビック、アコード。
今も内外で人気の名車を超える新時代の車を生む創造的進化につながらないか。
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読売新聞主筆の渡辺恒雄氏が亡くなった報道が・・
岸田前首相は、渡辺氏が開成高校の先輩にあたり、
父親が渡辺氏の高校の同級生だったことに触れ、
「若い頃から大変親しくご指導いただいた私に取って大きな存在だ。
言論人、マスコミ人として大きな影響を日本の戦後の歴史において残された方だった。
一つの時代が終わったと感慨深く思う」と語った。
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🔵驚いたというより、やはりそのようになったか!
ホンダと日産の経営統合だ。
お互いにメリットがあるのであろうか疑問。
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きっと政府の提言もあったであろうなあ~!
正式に決まってはいないが・・・どうなる。
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★個人的な感覚では・・どちらの会社にも半導体製品を納めていただけに
品質保証の案件には非常に厳しい会社であった・・・
企業風土が全く違って感じた。
そんな事を思い出しながら今回の
経営統合の先を見聞きしたい。
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早速新聞は・・
中國新聞 コラム 天風録には
ホンダと日産
「田舎のベンツ」とも呼ばれる、
日本生まれの軽トラが欧米で人気を集めている。
円安でお値頃の上、小回りが利き、燃費のよさも好評らしい。
海外のクルマ市場には、まだまだニーズが眠っているのだろう。
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▲ただ、売れ筋の潮目はおいそれと読めない。
14年前、世界初の量産型電気自動車を発売したのは日産である。
当時、カルロス・ゴーン社長は「盟主」気取りだった。
その売れ行きも今や減速し、
★日産は従業員9千人削減を余儀なくされる苦境にある。
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▲背水の陣から活路を見いだす一策だろうか。
ホンダとの経営統合について、日産が検討していることが明らかになった。
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きのう日産の株価は値幅制限いっぱいまで上がった。
重荷になると受け止められたのか、逆にホンダ株は下げた。
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▲成案を得て、相乗効果を生むまで壁は高かろう。
何より企業風土が違う。
ホンダは、夢を原動力にした創業者本田宗一郎譲りの独創性にこだわる。
その「らしさ」を愛好者も買うのでは
▲ゴーン氏の報酬隠しと国外逃亡で、日産ブランドは深く傷ついた。
「技術の日産」と褒めそやされた栄光の日々も今は昔のようだ。
「らしさ」は何なのか。原点を見つめ直す好機でもあるのだろう。
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毎日新聞 余録には
モータースポーツの黎明期だった…
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モータースポーツの黎明(れいめい)期だった1964年。
🔵第2回日本グランプリでプリンス自動車のスカイラインGTが一時、
ポルシェを抜いてトップに立ち、観衆を沸かせた。
🔵ホンダは最高峰のF1に初参戦した。
「自動車王国」の基礎ができつつあった。
▲日産がプリンスと合併したのは66年。完成車の輸入自由化に対応を迫られた。
トヨタも他メーカーとの提携で体質強化に動き、日本市場に参入できた外国車は限定的だった
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▲70年代は排ガス規制と2度の石油危機が自動車産業を揺るがせた。
米国の厳しい規制を初めてクリアしたのがホンダ。
小型、低燃費の日本車が世界市場を席巻し、80年に生産台数が世界一になった。
▲それ以上の変革期だ。脱炭素化で電気自動車(EV)への移行が進み、
人工知能(AI)利用の自動運転技術も飛躍的な発展を見せる。
米テスラや中国の比亜迪(BYD)など新興メーカーのEVにシェアを奪われ、
昨年の輸出台数は中国に抜かれた。
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▲ホンダと日産の経営統合協議は必然の帰結。
日産傘下の三菱自動車を加えれば世界3位の規模という。
デジタル化推進には巨額の開発資金がかかる。
生き残るにはスケールメリットも必要になる。
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▲戦前、トヨタと同時に初の自動車製造認可を受けた日産。
創業者の個性を受け継ぐホンダ。
企業文化は異なるがどちらも技術力を売り物にしてきた。
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スカイライン、フェアレディZ、シビック、アコード。
今も内外で人気の名車を超える新時代の車を生む創造的進化につながらないか。
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