日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

同窓会!

2007年03月17日 21時55分22秒 | 残日録
「天才の時代」を書こうと思いましたが、乱世(正に今)には若くして(10代にして)才能を発揮する人たちが現れる・・・日本では飛び級がないので、10歳にして大学生というような極端な例がないんですが、スポーツや囲碁、将棋や・・・・。資料をみているうちに、心変わりをして・・・。また・・次回にします。

今日は、同窓会(4月7日)で行くハイキング(観桜会のバーベキューも)の見所を整理していると時間をつぶしてしまいました。パソコンで取り込んだ国土地理院の5万分の1の地図に、コースの見所や資料を貼り付けて整理していると3時間も・・・。

そのついでに、4月12日に行く京都(卒業以来40数年も会っていない学友が4人で会う)への「おみやげ」(自身が老人会の身の上なのに、老いた親がいる友人のために、柔らかい地元のお菓子などを考えている)を算段するさえ楽しい。時刻表や乗換えも楽しいものになるでしょう。一気に時間を取り戻せるかどうか分からない。年賀状だけの友人になって久しい。

去年、中学の同窓会(3年間ず~と一緒)に出席したが、浦島太郎のように、誰も記憶の中にはいなかった。聞いて廻って少しの思い出が蘇っただけだった。先生は若かった(85歳)ので驚いたくらいだ。本当に可愛がってもらった記憶があった。しかし、32歳から3年間も指導していただいていたんだ。
デジカメで撮った集合写真などに名前を入れようと思いましたが、解らずに、クラスでやんちゃ坊主だった人気者に見てもらってやっと約束を果たせたくらいです。

小事が大事です!

2007年03月15日 18時09分08秒 | 残日録
原発事故は、防げるのか?

北陸電力は15日、同社の志賀原発1号機(石川県志賀町)で99年、停止中の原子炉が突然、臨界状態になる事故が起きた上、緊急停止装置が15分間作動しなかったにもかかわらず、国に報告せず隠ぺいしていたと発表した。原子炉は手動で停止され、外部への放射能漏れはなかった。経済産業省原子力安全・保安院は臨界事故と位置づけ、同日午後に同社の永原功社長を呼び、1号機の停止と安全の総点検を指示する。
緊急停止隠しはこれまで東京電力、東北電力で計3件発覚している。いずれも原子炉等規制法の報告義務違反にあたるとみられるが、3年の時効が過ぎている。

各電力会社の隠蔽体質には唖然とするしかない。ポカ~ン(口が)!メルトダウンが起きてからでは、反省はできませんよ!
取水制限を越えて勝手に取り、数値を改ざんして、口をつぐむ。電力会社の「ちょっといい話」は、聞いたことがない。

原子力発電には、各社力を入れている。発電総量の50%もまかなっているから、後戻りできないのでしょうか。
ドイツでも・・、原子力発電所の新設はせず、耐用年数がくれば、廃止する方向です。日本では、放射性廃棄物の行き先さえ決めずに、それがどんどん増え続けている。結局国の(税金)で、しようと画策しているが、どうなるんでしょう。

本題の「小事が大事」ですが、ニューヨークの地下鉄で、落書きをなくす施策を徹底した結果、地下鉄内での、暴行、強盗、はては強姦などの重犯罪が極端に減った。この結果をみて、札幌市でも、客引きや落書きなどの軽犯罪を徹底的に取り締まった結果、やはり重犯罪が減ってきた。
電力会社は、大事を隠して、小事をなくすことができるんでしょうか。逆ですよ、逆。小事を徹底的になくすことで、大事に至らないんですよ。
交通事故でも荒っぽい運転で「ひやっ!」とすることは、30回で1回の大事故に至ると言われていますから・・・。



歯医者に行く!

2007年03月15日 09時21分23秒 | 気まま日記
思うだに残念ですが、今日、歯医者に行く!

あの音、あの匂い、そして、待合室の時間と雰囲気!いやだ!いやだ!
それでも、小さな、なけなしの勇気を搾り出して、泣きながら行く!

大袈裟ですね~! しかし、内科や外科と違って、このての治療には長期の通院が必要なので、余計に憂鬱です!(1回で終わるのんてことは、絶対ないから辛い)

家計の悲鳴!

2007年03月13日 19時10分42秒 | 気まま日記
こんなにも家庭にずかずかといり込んでいる「テレビ」を最早排除することなんてできやしない!それが、もうすぐ、デジタル化(地上も衛星も)される。
そこで、共聴システム(なんと新幹線の障害補償)がなくなる。地区の有線ネットの売り込みが激しい。テレビの視聴だけ契約しようとしているんですが・・。(多チャンネルやインターネットもしている)テレビも買い換えないといけないし・・・。

インターネットだけは、他社の光に変える(引き込みは1ギガ、屋内は100メガ)心算です。それを機会に、パソコンがよく移動するので、コンセントに挿すだけのPLC(電灯線でインターネット)にしようと思って調べると、高いので(1セット(親機+子機)2万円、子機増設1台で1万円)驚いた。これで、PCカードスロットルのインターネット(出先でも、車の中でも)だけは解約しなければ、小遣いが、薄い財布が悲鳴をあげる。

10年前の通信費の環境と比べる術(すべ)もない。各自携帯電話を携行しているし、テレビも、回線業者への支払が増えた。NHKの支払と電電公社(NTTの前身)への支払だけだったのに・・・・。収入が極端に減ったのに、支出は膨らんでいく。そうかと言って、携帯も自動車も(各自1台)インターネットも・・・・便利なものは手放すことができないし・・・。

「貴方買います」

2007年03月10日 19時47分29秒 | 野球
プロ野球の西武スカウトによる現金供与問題で、総額約1000万円を受け取っていた早大野球部野手の父親(59)は10日午前、神戸市の自宅で毎日新聞の取材に応じた。一方、会見で「入団することを名目にしたお金だと思っていた」と話した。
東京ガスの木村雄太投手(21)側には高校在学時から現金が渡っていた。有望選手の将来を「カネで買う」球界の体質があらためて浮き彫りになった。
昭和30年代から始まる 「貴方買います!」 の激しいスカウト合戦に世間が呆れて、球界も疲れて、「ドラフト」が始まったのに、また、一部の球団が推し進めた「希望枠」制度とかいう、変なものを採用した付けが「一場」問題後にも噴出したようです。そして、3人ものオーナーの辞任。それまでも、巨人のT橋選手側に渡った不明朗な不動産取引の30億円とか、阪神のT谷選手には10億かかったとか、「噂」は噴出していたものです。球界浄化は完全「ウェーバードラフト」でお願いします!

早稲田3年生の父親によると、選手は中学時代から西武のスカウトに注目され、高校卒業後に「うちに来ないか」とドラフト指名を打診された。しかし、父親は「野球をやめた時のことも考えたほうがいい」と大学に進学させることにした。当初、学費が免除になる特待制度で別の私立大学に進学するつもりだった。しかし、早大野球部からも誘いを受けたため、西武に相談したところ「お金は出しましょう」と言われた。4年後に西武と入団契約した時に、契約金から天引きする契約だったという。お父さんの話から、早稲田の付属高校ではない。野手から内野手か外野手。遠くに野球留学などを総合すると、「清水 勝仁」君に行きつく。 スポ科 178Cm・73Kg 専大付属北上高校(岩手)卒に行きつく。もう、隠しても仕方がないでしょう。1000万円ものお金を受け取っている以上、西武に責任をかぶせるような物言いはいただけません。潔い身の処し方をして下さい。


赤木圭一郎の時代

2007年03月09日 11時02分41秒 | 残日録
昨日、水原弘の時代を書きましたが、続きとして赤木圭一郎を・・。

赤木圭一郎:本名赤塚親弘(あかつか・ちかひろ、愛称トニー)1939/05/08~1961/02/21 22歳の紅顔のまま昭和の時代を逝った。

1939 東京麻布に生まれる。
1944 東京が空襲が激しくなり、湘南へ疎開。
1958 4月成城大学に入学、8月に日活ニューフェイスに応募、合格。9月には早くも「明日を賭ける男」に出演。
1959 1月「嵐を呼ぶ友情」、3月「群集の中の太陽」に出演。4月「拳銃0号」で、本格デビュー「赤木圭一郎」のクレジット付く。9月「素っ裸の年齢」で初主演。9月「清水の暴れん坊」で石原裕次郎と共演。
1960 2月「抜き射ちの竜」初のカラー作品。この年11本の主演映画を撮る。
1961 2月「紅の拳銃」最後の主演作。2月11日撮影所内でゴーカートを運転中、鉄扉に激突。2月21日22歳の若さで逝ってしまった。成城大学在学中の死でもあった。若くして自動車事故で逝った「ジェームス・ディーン」に準えて「和製ジェームス・ディーン」と言われた。実質1年半の俳優生活であったが、強烈な印象を残して駆け抜けた。
大好きだった赤木圭一郎は、46年経った今でもファンクラブが存在している。赤木圭一郎を偲ぶ会
彼が映画の挿入歌で歌った「霧笛が俺を呼んでいる」(シングルカットもある)は、決して上手でない歌唱力だったが、マイナー音階がなんとも言えぬ雰囲気を醸し出していた。音痴のkunio_nikkiにも歌える愛唱歌でもあった・・・・・・。

「森進一」騒動!

2007年03月08日 17時20分23秒 | 残日録
「おふくろさん」(作詞:川内康範 作曲:猪俣公章 )の歌手森進一が、歌詞を付け加えたことで、作詞者と大揉めです。どちらが「いい、悪い」と言えば、圧倒的(100%)に森進一が悪いです。ただ、川内康範先生は大御所(大先生)ですから、「森よ!それはダメだよ」と、軽く意見をすれば良かったと思うんですが・・・。87歳の先生は頑固になっているんでしょう。

そこで、われらの時代を駆け抜けた「水原弘」を思い出した。
水原弘:(1935/11/01~1978/07/05) 42歳で酒に溺れ、肝硬変で逝った。東京江東区生まれ。
当時、大流行の「ジャズ喫茶」で歌っていたところを、渡辺美佐(ナベプロ)にスカウトされる。1959年、デビュウー曲の「黒いはなびら」(作詞:永六輔 作曲:中村八大)が大ヒット。子供まで喉を絞ったような声で歌ったほどだった。髪型やしぐさは石原裕次郎をまねていた。しかし、後続の曲がなく、長い低迷があった。そして、8年もの「どさまわり」(地方興行)が続いた。
そして、突然の復活劇がありました。その曲が今、問題のコンビだったことを思い出した。

「君こそ我が命」(作詞:川内康範 作曲:猪俣公章)です。長い低迷期を脱するきっかけが、お二人だったんですが、当時から、いやずっと前から大御所でした。水原弘の独特の声と詩、曲がピッタリで、長い低迷を知っているファンの判官びいきも相まって、大ヒットの奇跡の復活劇でした。そして、その後、巡業先の北九州市で吐血、42歳で駆け抜けた短い生涯でした。同年齢の時代を生きたものとして、いい思い出もほろ苦い思い出もある時代でした。(残日禄です)
追記:「ちあきなおみ」さんが、リバイバル(今の言葉ではリメイク?)で水原弘の持ち歌だった「黄昏のビギン」を歌い、その歌がテレビの画面からコマーシャルで流れてきたときに、えも言われぬ郷愁を覚えたのは、うれしい出来事でした。・・・その、「ちあきなおみ」さんも、引退して久しい。・・・


HIDEKO-MATSUI

2007年03月08日 11時42分48秒 | 松井秀喜
                     

昨年のア・リーグ覇者タイガースが、ヤンキース松井秀喜外野手を徹底マークだ。本塁打を放った前日5日のタイガース軍戦では、そのホームランを見た敵将リーランド監督が「彼は過小評価されている」と警戒を強めたが、この日のインディアンス戦にもスカウトのタナー氏を派遣。徹底分析を行った。(やはり、リーグ優勝のためには、ヤンキースを倒さねばならない。今年は、一番警戒する選手として松井秀喜外野手を挙げているようです)

そして、この日、スコアボードには「HIDEKO-MATSUI」と点灯された。写真でも分かるように、キーボードで入力して、点灯するタイプです。日本人の名前に精通していないので、「O」と「I」は隣のキーですから、慣れない球場関係者が押し間違えただけですが・・・。なんと、女性の名前に変化したことは、知る由もないでしょう。そして、松井秀喜外野手は、苦笑いして「マルチヒット」で答えた。


GODGILLA火を吹く!

2007年03月06日 21時05分57秒 | 松井秀喜
ヤンキース対タイガースのオープン戦、ゴジラのバットが火を噴いた。これまで、3試合で2塁打、ヒット、本塁打の3本ですが、数字以上に好調のようです。(3割3分3厘)
初先発の井川慶が、相変わらずのぱっとしない形でマウンドを降りた後の二回裏。昨シーズンのア・リーグ新人王の「ジャスティン・バーランダー(速球派)」から、ライナーで右翼フェンスを越える豪快な一撃。「甘い球だったけど、しっかり打てたし、いいホームランだった」。自画自賛の今季初ホームランに顔がほころんだ。
低めの速球だったが、2塁手の上を越すというような低い当たりで、打った瞬間は、ホームランになるとは思わなかった。ただ、痛烈な当たりだったのでフェンス直撃かと思いましたが、球はぐんぐん伸びてフェンスの上を余裕を持って越えていったのには驚いた。当たりそのものが段々芯で捕らえた当たりになってきましたから、打席での期待は、「なにかやってくれそう」とうれしく迎えられます。

小泉麻耶にアクセス殺到!

2007年03月05日 20時53分42秒 | 芸能
「名門」として知られる桐朋女子高校に通っていたタレント「小泉麻耶」(18)さんが水着写真集を出版したとして、退学処分を受けた。それに対して、タレント側は処分の無効確認を求めて提訴、学校側も全面的に争う姿勢です。
記事によると、小泉さんは05年末にスカウトされ、06年7月に写真集「現役女子高生」でデビューした。この写真集の存在が学校側に知られ、やめて学校に残るか、それとも学校やめてグラビアをやってくのかどっちにしますか?」などの経緯があったのち、書面で退学を命じられたという。小泉さんは中学1年から5年半この学校に通っており、卒業を半年後に控えての処分だった。
小泉麻耶
上記の「オフィシアルホームページ」からも、リンクの「ブログ」からも、次々に仕事をこなす様子が明らかです。「ブログ炎上」(賛否両論)とも報じられていますが、・・・・。
「女子高生」を売り物とした活動ですから、退学を認めたくないのは解りますが、それなら、もし、先方の高校に認めてもらえれば芸能をも売り物とする「○越高校」にでも転校すれば、とも思います。また、ほとんど高校生活をしなかった、タレント卓球少女を名門早稲田大学に入学させた実績の○森△田高校にでも転校すればいいでしょう。
桐朋女子高校が、タレント活動を認めていない以上、退学すればいいと思います。あなたのことではありませんが、余り恵まれた風貌でもない場合でも、オッパイを見せて媚びるなら、売り出す「旬」というものがあります(ほしのあきは例外的の30歳でもがんばっているが)。こうして売れた(当然タレント活動を本人も希望している)のですから、希望者が、10000人いても売れるのは、一人いればいいほうでしょう。そんな過酷な競争に勝ったあなたには「高校生グラビアアイドル」の「高校生」が取れた途端に、な~んだ「普通の人」とはならないでしょうから。売れたもの勝ちです。あなたには、もう高校生の肩書きは不要です。大きく羽ばたいて下さい。
一方、高校の退学基準は、その高校に付随する「校則」の一部ですから、その高校の憲法です。生徒によって、基準が揺らぐのであれば意味がありません。当然、裁判で争って、どちらが正しいか決着をつけて下さい。
申し添えておきますが、社会に出ても、会社員とグラビアタレントの両方をこなすことを許す寛容な会社は極僅かでしょう。一方(学校)を捨て、一方(タレント)でがんばって下さい。「あぶ、はち取らず」、「二兎を追う者、一兎をも得ず」とかありますから、「二足のわらじを履く」のは難しいでしょう。