日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

同窓会への誘い(いざない)

2007年03月04日 09時21分16秒 | 残日録
うれしいお誘いが2つあった。

4月7日(土)に、某高等学校の同窓会のお誘いは、
1班、ハイキング班が地域の○○富士と言われている低い山の縦走(4時間)で、会場入りする。
2班、会場近くの桜並木や有名神社などのハイキングの後会場入りする(2時間)。
3班、満開?の桜の下の会場でバーベキュウなどの設営準備をする。
いつも、同窓会の幹事さんには、感謝しています。どんな行事をするとか時期とか連絡とか、大変に時間とお金のかかることを、惜しまずに時間を割いていただいています。
今日、メールで参加の返事をいたします。1班での参加ですが、前日の夜と当日の朝に、薬を飲んで、水と酸素缶(600円)と地図を用意して・・・。楽しみです。


上記の返事ができたのは、某大学の仲良し4人(四十数年も会っていないので疑わしいが)が、4月12日(木)か4月13日(金)に京都で会いましょうと決定と電話を頂いたからです。それぞれ近隣県に住んでいる(兵庫、奈良、三重、京都)とは言え、年賀状以上の付き合いがなかったので、すぐ打ち解けれるかとの恐れもある。その恐れ(自分の老化)以上に、会ってみたいとの温かい考えが心を支配してくれた。同級生の市会議員(議会の要職にある)や、若い県会議員に立候補する(市会議員一期ののち)に応援を頼まれているが、どうでもこのスケジュウールを優先したい。今から「手みやげ」を考えるのすら、うれしいことなのですから・・。特に目を悪くしている友人には、かける言葉を、すでに考えています。一番の出世頭は、・・・・・どうでもいいや!


松井、不安を払拭!

2007年03月02日 20時02分51秒 | 松井秀喜
ヤンキースオープン戦の初戦は、松井秀喜外野手にとって、去年の悪夢の骨折からの不安を払拭するお膳だての試合でした。
2死1、3塁、ツインズ2番のプントの放った打球は、レフト線ぎりぎりに舞い上がった。抜ければ、一気に2点を失っていたところ。だが、松井は打球に向かって敢然とダッシュ。ライン際でスライディングすると砂煙が舞い上がった。誰もが息をのんだ一瞬の出来事・・・。
「取れるかどうか、微妙な感じだったんですけど、スライディングしないと危ないと思いました。グラブを動かしたら入っていました」
スライディングキャッチで左手首を骨折したという悪夢は、そう簡単にぬぐえるものではない。もし、あの時と同じような場面、同じような打球に遭遇したときに、松井はどう対応するのか? 一時、「スライディングキャッチは、もうしません」と語っていたんですが・・・。恐怖心から、飛び込むのを躊躇(ちゆうちよ)するのではないか?しかし、こんな周囲の懸念を、松井はオープン戦初日で一掃してみせた。
この勇気あるプレーを指揮官、トーリ監督も絶賛した。
「フライが上がったところで、スペースがないのは明らかだった。松井はスライディングすることで自分の体を守った。素晴らしいプレーだった。彼はまさに恐れを知らない。これから先、何をするにしても、彼が躊躇することはないだろう」
骨折箇所にプレートが入っているほどの骨折をしたにも関わらず、そのことを何も感じさせないプレーは、監督の一抹の不安を払拭するものであったようです。