日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

祝!松井秀喜外野手、2000本安打達成!

2007年05月07日 11時53分18秒 | 松井秀喜
松井秀喜外野手の2000本安打達成は、意外な結果であった。6回裏の攻撃は、1死のあと、レフトへの高いフライであった。守備動作に入ったが、センターから吹く風で左に流されると、「ラニエス外野手」がグラブで遮っていた陽射しが目に入ったのでしょう、グラブに触れることなく落球し、松井は2塁へ進塁した。長い間合いのあと、スコアボードには「E」が点灯した。しかし、攻撃が終わり回がかわるときに、記録は「H」に訂正され、日米通算2000本安打の達成となった。もちろん、記念のボールは行き先不明となった。
そして、城島に対する無謀な体当たりやマリナーズからの報復の死球や今度はヤンキースからの死球で大揉め、トーリ監督などの退場もあった。
そして、7回の攻撃前のセレモニー中(私を野球に連れていって)に、異例な形で音楽を遮り「ロケット(ロジャー・クレメンス)」の復帰が本人によって場内放送された。契約は、単年度としては、A・RODを抜いてMLB最高額で2800万22ドル(33億6000万円、22ドルは背番号に同じ)。但し、実際は日割り計算されるので22億円程度となる。途中復帰でも年俸が22億円前後ですから、本当の大物です。松井秀喜入団会見に同席してくれた恩義で、許してしまいます(悪口は書かない)。
また、松井外野手がこのあと、ライト前にクリーンヒット(打点付き)を放ち、ごちゃごちゃした大荒れの試合に決着を付けた。
ロジャー・クレメンス投手:愛称「ロケット」、44歳。
ボストン・レッドソックス時代(1983~1996)13年、192勝121敗
トロント・ブルージェイズ時代(1997~1998)2年、41勝13敗
ニューヨーク・ヤンキース時代(1999~2003)5年、77勝36敗
ヒューストン・アストロズ時代(2004~2006)3年、38勝18敗

ヤンキース退団は、引退セレモニーのようでもあったので多くのファンがそれを信じていた。しかし、いつも契約では、なかなか決断しない(サインしない)ので、ヒューストンの3年目も6月からの復帰であった。
ヤンキースのトーリ監督やジータ主将とは、毎週コンタクトをとっていて(熱心に誘われていてチーム事情も解っている)キャッシュマンGMの書類にサインした。
復帰は、5月下旬にも実現するでしょう。


雨なのに~!

2007年05月06日 19時25分23秒 | 気まま日記
今日は、地区の溝掃除の日だった(早朝7時より)。昨夜から降り続いた雨は、小川の水嵩を増して流れ、清掃のために溝の中に入れないので、それは、比較的早く終わった。(溝は、ほじょう整備や区画整理でコンクリートになっていて、草の生える部分は少なくなっている。)只、雨の止み間がなかったので、レインコートの下は、汗ばんで不快なものであった。

帰ってから、松井秀喜外野手の2000本安打に期待してテレビのスィッチを入れたが、録画放送(BS)の悲しさで、先に掛けたチャンネル(地上波)のニュース番組で結果を聞いてしまったので、本当に興味のないものになってしまった。
明日は、やはり録画放送だから、目覚ましのラジオも掛けず、あらゆるメディアを排除して期待の9時15分を待つ積もりです。「明日は、でっかい花火(ホームラン)を打ち上げて、区切り(祝!2000本安打)をつけて下さい。お願いします。」

「藤公園」に行った!

2007年05月03日 21時05分37秒 | 残日録
「日本一の藤公園」に行った。
日本全国の有名な藤や、韓国、中国の藤まで100種類も咲き誇る岡山県和気(わけ)町の藤公園に行った。山陽自動車道は、ゴールデンウィークの連休中であるためか兵庫県と岡山県の県境あたりで、10Kmや15Kmの渋滞があったが、なんとか我慢出来る範囲であった。のろのろ運転でも進んだので、途中で高速道路を降りようかとも考えたが、インターチェンジの区間が長いので(次々とトンネルがあるような山間部)諦めているうちに「和気」にたどり着いた。

藤は五分咲きの状態でしたが、多くの観光客で付近の駐車場は満車でしたが、僅かの待ち時間で駐車できた。藤棚の下に多くのスズメバチのような大きな蜂が蜜を求めてブンブンと飛び回っていたのには閉口した。通路の両側に並ぶ露店の匂いや暑さで「あいすくりん」(昔懐かしいスタイルのアイスクリーム、「アイスクリン」と言っていたし、看板にも書いてあった)を求めた。

帰りの道すがら、なぜか「女学生」を口ずさんでいる自分に驚いた。
昭和30年の後半から40年代は「青春歌謡」と言われたジャンルの歌が全盛であった。丁度、戦後世代から団塊の世代までの青春時代だったように思う。
「女学生」(歌:安達明 詩:北村公一 曲:越部信義) 

1 うすむらさきの 藤棚の
  下で歌った アベマリア
  済んだ瞳が 美しく
  なぜか心に 残ってる
  君はやさしい 君はやさしい女学生

2 セーラー服に 朝霧が
  流れていった 丘の道
  赤いカバーの ラケットを
  そっと小脇に かかえてた
  君は明るい 君は明るい女学生

3 はるかな夢と あこがれを
  友とふたりで 語った日
  胸いっぱいの しあわせが
  その横顔に 光ってた
  君はすてきな 君はすてきな女学生
藤棚の下を歩いて、40数年も前の青春を一瞬でも思い出したのは、うれしい出来事でした。

その昭和37~8年(1962~1963)から昭和40年代に、多くの青春歌謡が生まれたが、思いつくものだけでも、以下のように多くある。
「我が愛を星に祈りて」梶光夫+高田美和、「二人の星をさがそうよ」田辺靖雄、「星のフラメンコ」西郷輝彦、「若草の丘」本間千代子、「涙くんさようなら」ジャニーズ(今や飛ぶ鳥落とす勢いのジャニーズ事務所の原点「ジャニーズ」がデビューしたのもこの頃でした)「涙の敗戦投手」舟木一夫、「青春の城下町」梶光夫、「霧の中の少女」久保浩、「若い二人」北原健二、「京都の夜」愛田健二、「「エリカの花散るとき」西田佐知子、「江梨子」橋幸夫、「美しい十代」三田明・・・・・・・。 

「へちま」を植える!

2007年05月01日 20時30分06秒 | 残日録
今日、「へちま(糸瓜)」を2本植えた。

「へちま」は、むかし、基礎化粧品であった。大きく成長したのに、地上4~50センチで幹を切断され、1升壜に差し込まれ、まだ幹や枝葉があるかのように「樹液」を一所懸命に送り続けるのです。そして、「へちま水」となるのです。
また、熟したその実は、水の中などで腐らされると、名前のように中心部まである網目状の繊維だけが残り、「へちまたわし」となり、お風呂などで体を洗うのに利用されるのです。

幹の切断というような、そんな過酷なことを考えている訳ではないですが、「垣(かき=ささえ)」などに登らせると、その成長力や大きな葉の特性から、立派な日よけとなるはずです。9月にもなって役目を終える頃には、その実は4~50センチにも成長し、柔らかい「たわし」に変貌することでしょう。
まだ、4~5センチの苗ですが、立派に生長してくれることでしょう。