暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

噂に誘われ、行き当たりばったり無鉄砲旅② 玉井陣屋(熊谷市)

2017-09-03 23:24:59 | 城館跡探訪
成田氏熊谷市北東部に懲りた私は、翌日、比較的近場と思われる

奈良、玉井、別府を探訪することにしました。

実は、この日はいやに調子がよく、市の西端の別府から、

正反対にある東端の中条まで走ってしまうことになったのでした。

玉井陣屋は、平安末期に玉井氏が住んだとされている館跡です。

別府氏関係城館跡は目と鼻の先ほどの距離しかありません。

玉井陣屋は玉井寺から大玉井神社の辺りにあったようでした。『埼玉の館城跡』には、

空堀の一部が残存していると記されていたのですが、地元で聞き取り(1982)をしたところ、

「5年くらい前までは、家の軒先位の高い土手が、ずうっと向うの方まで残っていたんだよ」と

指さして教えてくれました。複数の方がそういっていたので、これは事実だと思います。

『埼玉の館城跡』は1968年刊行ですから、調査漏れがあったと考えてよいと思います。

土塁は大玉井神社の鳥居付近、道を挟んで東側にある農家の裏側でした。

おそらくその土塁は玉井寺の裏にかけて続いていたのでしょう。

館の中心はどこだったのかわかりませんでしたが、聞き取りでは「神社の辺りが館の跡だ」と

言うことでした。そこで、神社に向いて写真を撮影いたしました。



その後も、数次訪ねて、痕跡を探しましたが、遺構は見つかりませんでした。

付近には神社が点在し、遺構の残存を期待して訪ねてみましたが、

手入れの及んでいない深いやぶがあって、土塁らしきものはあったものの、

それが、玉井氏の居館とどのような関連を持っていたのかもわからず、

結局、それ以上の探索は断念しました。

今考えれば、70年代後半から80年代前半は、城館跡受難時代の幕開けでした。

私はこの後、「○年前まで残っていたよ」という言葉をさんざん聞かされて、

その度に地団駄踏んで悔しがることになるのでした。