暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

源範頼館跡 息障院(吉見町)

2017-09-08 23:41:50 | 城館跡探訪
本来、今日アップするはずだった記事が、ミスで昨日あがってしまいましたので、

今日は、源範頼館跡について、最近の様子について書きたいと思います。

源範頼館は、1983年頃に訪ねたと記憶しております。年末の風のない穏やかな日だったのは覚えていますが、

どのようなルートで行ったのか記憶が曖昧です。到着したのは午後3時過ぎだったと思います。

傾いた日が赤く壁を照らしていた記憶があります。

源範頼館付近の水田には、源範頼館とは別の館の、かなり深い水堀跡が水田となって残っていました。

当時の写真については、デジタル化されていないので、2012年7月に撮影したものです。

この写真は甥を釣りに連れて行った帰りに立ち寄った時のもので、あまり十分とは言えませんが・・・。



この館跡は、現在でも非常に比較的よく保存されています。源範頼と言えば、源頼朝と並ぶ歴史上の大物です。

御所という地名が残っており、地元で経緯を集めていたことが推測されます。

初探訪の時、私も有名武将の館跡がよく残っていることに興奮したのを覚えています。



初探訪の頃はこんな石碑はありませんでした。





土塁と空堀です。

息障院の入り口付近の堀はもっとはっきり残っています。



1983年頃は、かなりのやぶ状態で、堀なども観察しにくかったのですが、

現在は手入れがされて見学しやすいと思います。

この近くの山は、豊臣氏による松山城攻城戦の陣が張られていた地域です。

これら地域は、昔の写真だけではなく、再踏査をして、詳しく紹介していきたいと思います。


山城に行くのは結構怖かった

2017-09-08 02:34:04 | 城館跡探訪
このブログのネタになっているのは、わたしが1980年代に撮影した城館跡の写真です。

近年の住宅開発の外延化は、以前なら思いもよらなかった農業地帯の開発に帰結し、

農家、農地のような形で残されていた城館遺構を消滅させていきます。

最近、城館跡探訪が大人の趣味として社会的に認知されるようになりましたが、

平場の城館の遺構の多くは失われてしまいました。

わたしとしては、こうした平場の城館に関心のある方に少しでも、情報提供をできればという意図で

立ち上げています。

写真資料はたくさん残っているのですが、スキャンが進んでいないので、時折、ネタ詰まりになるかもしれません。


さて、本日のテーマの山城ですが、私自身平場の館だけではなく、山城にも足を延ばしました。

主として高校時代で、1983~1688にかけて探訪しました。

山城探訪にはいろいろな思い出がありますが、正直言って、見えないものの息のつまるような存在感が

迫ってくる城館跡は少なくなかったです。

私はすべて一人で城館跡を探し歩いていたので、怖い思いをした経験は多かったです。

そうした経験も、今後お話しすることになると思います。


知人の心霊マニアに、「そういう場所を教えろ」と言われたことがありまして、

気乗りはしませんでしたが、あまりにしつこいので、某城郭に絡んだ大場所を教えましたが、

山中のものすごい低湿地=谷津の「キレキレ」の場所を教えて、怒られました。

教えろと言ったのは君だったはずだ(笑)

箱田氏館

2017-09-08 01:43:19 | 城館跡探訪
箱田氏館は熊谷市役所、熊谷市中央公園の東方、熊谷市総合病院の西の住宅地の裏側にあります。

私が訪ねた1982年当時は、すでに水田になっておりました。

『埼玉の館城跡』によれば、箱田氏館は土塁水堀の一部が残存していると記載がありますが、

屋敷地が館跡を噛んでいるようで、この辺りはつまびらかにわかりませんでした。

水堀は恐らく農業用水に転用されていたのではないかと思います。



『埼玉の館城跡』掲載の現状写真と同じ感じに撮ってあります。

どうも芸の無さが目立ちます。

写真中央部を走っている用水路が水堀跡ではないかと推測しました。

右側の水田の方が左側より若干高いことがわかります。

そして、盛り上がっているあぜ道が土塁・・・・そのように考えていましたが、

どうだったのでしょうか。

箱田館の主、箱田三郎は成田氏の一族で、館跡は平安期のものとされています。

箱田氏について調べてみるといろいろ興味深い問題にぶつかりますが、

地元に残っているという、八幡社、諏訪社、三郎社、三郎塚などの遺跡があり、

箱田館に行くための路地入り口には御嶽社があり、ここに箱田氏の顕彰碑があるようです。

これらの小祠や遺跡には私も関心があるので、是非とも調査に入りたいと考えています。


追記:-1985-百年プリント(笑)。私が中学時代に撮影したものですから1982年に間違いないと思うのですが。

   当時はこんなものを入れていたんですね。紛らわしいですね。