このところ、番外編ばかりですが、その理由は城館跡のアルバムを実家においてきてしまい、
調子よくアップすることができないという事情があることを率直に明かしておきます。
しかし、少しでも、城館に関連性がある場所がいいと思い、本日は平将門にゆかりの
東秩父村の大内沢神社をご紹介いたします。
小川町から県道11号線を秩父方面に直進し、東秩父村に入ります。
なおも直進し、かつては堂平山までの道を攻めるバイク乗り達の間で有名だった落合の店まえを
なおも直進すると二本木峠入り口や観光ミカン園入り口を示す看板が現れます。
そのまま左側に注意して進むと、神社があるのがわかります。
そのまま進むと、寄居町鉢形場付近に抜けてしまいます。
今では非常に快適に進めるこの道路、実は、私が自転車で訪ねた当時、1980年代前半には
一部拡幅が住んでいたものの、全体的には槻川沿いを走る細い道で、
大内神社よりさらに奥にかなり高い峠がありまして、そこに峠の茶屋があったのです。
私が行った当時は泥と砂利の道で、茶店でラムネを飲みました。
今思い起こせば写真に収めておくべき風情のある茶店で、惜しかったです。
開発が進んで、風情が失われてしまったと言えば、下久保ダムの上流の上野村の神流川沿いの奇勝で、
今でも部分部分が残されていますが、年々廃道化しており惜しいですね。
こちらは、高校卒業前に撮影した写真が残っているので、いずれお目に掛けたいと思います。
話があちこちに飛んでしまい申し訳ございません。
大内神社は、平家の祖である高望王の弟、恒望王をお祀りする神社です。恒持王はこの東秩父村大内沢に配流され、
神社付近に館を構えたといわれており、常陸敗走後の秩父の将門伝説に欠かせないゆかりの場所ともなっております。
恒望王の館跡がどこにあったか、つまびらかではありません。
城館跡好きの方なら、神社をそのまま館跡と考えるのが「定跡」でしょう。
ですが、『武蔵国郡村誌』によれば恒望王の居館跡は少し山に入った貝戸地区にあったと伝えられているようです。
同書にはほかに、長者屋敷跡、平将門居館跡もあり、将門館は井戸という場所にあったと伝えられています。
井戸地区も大内神社よりだいぶ先であり、この辺りは実際に地元に入って見ないと分かりませんね。
調べる楽しみは取っておきたいと思います。
私は罰当たりなので、本堂内部まで撮影してしまいました。
今一つ、映りがよくありません。
今年の冬辺りには、前述の館跡について調査に入ろうと思います。ある程度の目星は付けておりますが・・・。
調子よくアップすることができないという事情があることを率直に明かしておきます。
しかし、少しでも、城館に関連性がある場所がいいと思い、本日は平将門にゆかりの
東秩父村の大内沢神社をご紹介いたします。
小川町から県道11号線を秩父方面に直進し、東秩父村に入ります。
なおも直進し、かつては堂平山までの道を攻めるバイク乗り達の間で有名だった落合の店まえを
なおも直進すると二本木峠入り口や観光ミカン園入り口を示す看板が現れます。
そのまま左側に注意して進むと、神社があるのがわかります。
そのまま進むと、寄居町鉢形場付近に抜けてしまいます。
今では非常に快適に進めるこの道路、実は、私が自転車で訪ねた当時、1980年代前半には
一部拡幅が住んでいたものの、全体的には槻川沿いを走る細い道で、
大内神社よりさらに奥にかなり高い峠がありまして、そこに峠の茶屋があったのです。
私が行った当時は泥と砂利の道で、茶店でラムネを飲みました。
今思い起こせば写真に収めておくべき風情のある茶店で、惜しかったです。
開発が進んで、風情が失われてしまったと言えば、下久保ダムの上流の上野村の神流川沿いの奇勝で、
今でも部分部分が残されていますが、年々廃道化しており惜しいですね。
こちらは、高校卒業前に撮影した写真が残っているので、いずれお目に掛けたいと思います。
話があちこちに飛んでしまい申し訳ございません。
大内神社は、平家の祖である高望王の弟、恒望王をお祀りする神社です。恒持王はこの東秩父村大内沢に配流され、
神社付近に館を構えたといわれており、常陸敗走後の秩父の将門伝説に欠かせないゆかりの場所ともなっております。
恒望王の館跡がどこにあったか、つまびらかではありません。
城館跡好きの方なら、神社をそのまま館跡と考えるのが「定跡」でしょう。
ですが、『武蔵国郡村誌』によれば恒望王の居館跡は少し山に入った貝戸地区にあったと伝えられているようです。
同書にはほかに、長者屋敷跡、平将門居館跡もあり、将門館は井戸という場所にあったと伝えられています。
井戸地区も大内神社よりだいぶ先であり、この辺りは実際に地元に入って見ないと分かりませんね。
調べる楽しみは取っておきたいと思います。
私は罰当たりなので、本堂内部まで撮影してしまいました。
今一つ、映りがよくありません。
今年の冬辺りには、前述の館跡について調査に入ろうと思います。ある程度の目星は付けておりますが・・・。