黒沢屋敷は、熊谷市南西部の三尻地区にありました。
鎌倉期の館跡といわれ、付近には観音山という小さな山があります。
そこには渡辺崋山が逗留したという龍泉寺があり、
本堂背後には洪積期の楕円形の石が積み重なった地層の露出する崖があり
夏期には地下水が滝のように噴き出しています。
他にも周囲には湧水地の祭祀遺跡があり、他に畑から穿孔のある小石などが出土します。
私の祖母は、穴あき石を「霊石」として、わざわざ、観音山まで納めに来ていたようです。
随分遠かったのですが。
観音山は古くから信仰を集めていて、縁日の祭りは盛大で、参道に連なる旧街道は、
桝形を残した旧家の多い、いかにも雰囲気のある街道でした。その桝形付近には、
黒沢屋敷とは別の、水堀に囲まれた堀之内という地名があり、興味をそそられました。
そこには、古いですが現役の住宅がありました。
現在ではさすがに、建て替えが進み、並木道も寂しくなっています。
さて、黒沢屋敷です。
もとは、水田の中にやや高く盛り上がった土地があったようです。
私が訪問した1982年時には、すでに館の存在をしのばせるものは無くなっていました。
ただ、地元では黒沢屋敷は普通に知られていたようで、地元の方に元の所在地を、
「3年位前に発掘調査やって、その後ポンプ場になっちゃったよ。ほれあそこ」
玉井陣屋と全く同じパターンです。
『埼玉の館城跡』では、遺構なしとなっていましたが、地元の方に聞いても、
「少し小高い場所があったくらいだな」とのことでした。
まったく無念でした。
悔しさを紛らせるために、ポンプ場を撮影したのでした。
鎌倉期の館跡といわれ、付近には観音山という小さな山があります。
そこには渡辺崋山が逗留したという龍泉寺があり、
本堂背後には洪積期の楕円形の石が積み重なった地層の露出する崖があり
夏期には地下水が滝のように噴き出しています。
他にも周囲には湧水地の祭祀遺跡があり、他に畑から穿孔のある小石などが出土します。
私の祖母は、穴あき石を「霊石」として、わざわざ、観音山まで納めに来ていたようです。
随分遠かったのですが。
観音山は古くから信仰を集めていて、縁日の祭りは盛大で、参道に連なる旧街道は、
桝形を残した旧家の多い、いかにも雰囲気のある街道でした。その桝形付近には、
黒沢屋敷とは別の、水堀に囲まれた堀之内という地名があり、興味をそそられました。
そこには、古いですが現役の住宅がありました。
現在ではさすがに、建て替えが進み、並木道も寂しくなっています。
さて、黒沢屋敷です。
もとは、水田の中にやや高く盛り上がった土地があったようです。
私が訪問した1982年時には、すでに館の存在をしのばせるものは無くなっていました。
ただ、地元では黒沢屋敷は普通に知られていたようで、地元の方に元の所在地を、
「3年位前に発掘調査やって、その後ポンプ場になっちゃったよ。ほれあそこ」
玉井陣屋と全く同じパターンです。
『埼玉の館城跡』では、遺構なしとなっていましたが、地元の方に聞いても、
「少し小高い場所があったくらいだな」とのことでした。
まったく無念でした。
悔しさを紛らせるために、ポンプ場を撮影したのでした。