今日は午前中は天気が良かったのですが、午後からは雨が降って、風が強いです。
昨日は馬のオーナーのシェイレンさんから連絡があり、友達が保護馬を買い取ったので、預かってもらえる牧場を探しているのだけど、牧場使用料は払うのでもう一頭、こちらで預かってもらえる?と連絡があったので、シェイレンさんの頼みともなれば、と承諾しました。これで今日から馬とポニー、合わせて7頭を預かることになりました。(見出し画像参照)
まあ、牛が牧場でなくて牛舎で飼えるのと同様で、理論的には馬だって干し草や配合飼料を十分に与えれば、少ない面積で、多くの馬を飼うことは可能なのですが、干し草の値段も馬鹿にはなりませんし、やはり馬は新鮮な牧草が大好きですから馬の数が多すぎるのも良くないのです。
さて今日の、もう一枚の写真は家の直ぐ前の畑です。広さは4X6メートルで、今、冬野菜を栽培しています。キャベツやブロッコリーは青虫にやられたので、ネットをかけましたが、あまり生育は良くないようです。(写真手前はそら豆)
では今回も昨日に引き続き、オーストラリア移住までの経緯の続きをお話していきます。
兼業農家の長男として生まれ、後継ぎ息子として期待され大学まで出してもらったのに、折角、新卒で入社した会社を一年半で退社してしまい、再びアメリカへ留学したいなどと、両親は呆れて物が言えない状態でした。
ただ、自分で貯めたお金を使っての留学計画だったので、両親はしぶしぶ承諾してくれました。
小中学校の頃は理科や科学が大好きだったのですが、高校では数学などの理系の科目が苦手になってしまい理系の大学に進めませんでした。それで「アメリカでもう一度、物理などの理数系科目に本気で挑戦したい」と専攻は物理にしました。
アメリカと日本の大学の違いですが、アメリカの大学では、社会人が大学に戻って別の資格を取ったり、一旦社会に出た人が、再び大学に戻って興味のある専門分野が学べるように、大抵の学部では初歩のレベルから学ぶことが出来ます。例えば数学を例に挙げると、日本の大学で数学科に入るなら、高校では数3の数学を履修する必要があると思います。これに対してアメリカでは、入学前に学生の数学の知識が高校一年生、或いは中学生のレベルであっても、大学で数学の勉強を始めて、数学科を卒業することが可能です。(その代わり、在学年数が延びるでしょうが、、。)
最近、日本では社会人や有名人の大学入学がニュースになることから分かるように、一旦社会に出た大人が若い学生に混じって大学に入るのは、まだ一般的ではありません。それに対して、アメリカの大学は高校の後の進学先というよりは成人教育の場という位置づけのようです。そのため30代や40代の生徒も少なくなく、大学の教室で赤ちゃんに授乳していたり、乳母車を押して大学に来たり、小さな子供がいる学生のために大学構内に託児所があったりは普通です。
さてこのオレゴンの片田舎の大学には僕の様に、授業料の安さに誘われて入学してきた発展途上国からの留学生が多くいて、ずば抜けて頭がよい学生に会えて大変刺激になりました。
この大学は4年で無事卒業できました。この時までで合計8年間大学に行ったことになります。渡米の飛行機の中では、当時の映画「Secret of my success摩天楼はバラ色に」の主人公の様に、アメリカで成功して、「日本には自分のジェット機で帰るぞ。」などと夢を見ていましたが、卒業後の帰国の便は格安のエコノミーだったのは言うまでもありません。いくら地方の大学の物理学科を優秀な成績で卒業したと言っても、仕事に役立つ資格があるわけではなく、留学生はビザのハードルがあるので、アメリカでの就職活動はあっさりと諦め、卒業と同時に取り合えず日本に帰ってきました。
明日に続きます。
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