篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)より、『名前の無い週末』を聴いてみる。今日も、行き着く最後時、週末の終末歌、ここにあり。明日を活きる想い、果たしてあるだろうか?
篠原美也子“S”を、2001年のアルバム『新しい羽根がついた日』より、聴いてみる。
全てを意味するものは、ない。
けれど、全てを意味して、いつでも、自分自身を、守ってくれるものは、欲しいかな。
2010年の篠原美也子のアルバム『バード・アローン』より、“Last Quarter”を聴いてみる。
不変であっても、可変。
それが、この世の摂理だけれど、私と言うヒトは、不変である。
篠原美也子『一瞬でいい』を、2007年のアルバム『桜花繚乱』から、聴いてみる。
沢山の儚い、こうなったら、と言う一瞬を重ねても、リアルライズは、ない。
篠原美也子の1994年のアルバム『いとおしいグレイ』から、“Tokyo 22:00”、を聴いてみる。今晩も22時を廻り、シンデレラに成りたくても成れない心が、ときめく?そんな時分を、妄想。
1995年の篠原美也子のシングル、『名前の無い週末』を聴いてみる。
今日は、土曜日。
飛ばせ、飛ばせ、忘れたい結末と末路を、ぶっ飛ばして――
イーグルス―Eagles―の1973年のナンバー、“SATURDAY NIGHT”を、2004年のイーグルス―Eagles―のアルバム『ならず者―DESPERADO―』より、聴いてみる。
11月の2週目のサタデーナイトに聴く。お約束で、土曜日の夜の歌を。
少年ハリウッドのBEST ALBUM(2015年)から、舞山 春『永遠 never ever ―Bitter Chocolate Version―』を聴いてみる。
そう言えば、あったな、でピックアップ。
素朴に歌われていても、名曲に、変わりはない。