錯乱坊の彷徨える日々

フィールドでの出会いに癒しを求めて…

雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)

2021年03月23日 | 放浪雑記

島原城の後は雲仙岳災害記念館・・・
今から30年前の1990年11月より約5年間にもおよぶ雲仙普賢岳の噴火で1991年6月3日に発生した火砕流で43名。
そして93年6月23日の火砕流で1名という44人の尊い命が犠牲になりました。
その自然の驚異と災害の教訓を風化させることなく後世へ残すためにと、この雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)つくられた。
が!
一部の取材陣による傲慢な行動・・・・
避難で無人になった民家に無断で侵入し電源を確保するような事がなければ、少なくとも見回りの消防団員や警察官の犠牲者は抑えられと思うし、そのような傲慢な行動は2016年に発生した熊本地震でも行われていた。
例えば・・・
報道だからと給油で並ぶ車両に割り込むGS事例ね。
また、そのような不都合な事例に関しては報道は伝えようとしない。


そして、ここからは話を戻して・・・
あの6月3日に発生した大火砕流の直後は怪しげな暗雲によって日差しを奪われ、それと同時に真っ黒な雨が降った。
もちろん、その雨によって全身が真っ黒になった経験をもつ者として、この雲仙岳災害記念館内の展示は他人事とは思えない。


報道機関の取材拠点に残された読売新聞の望遠レンズ。
このレンズを通して何を見たのか?
今となっては何も分からない。


また、こちらは毎日新聞の望遠レンズ。
同じようにカメラを構える者としては、この痛々しいレンズは見るに耐えない。


そんな雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)から平成新山を望遠で見ると・・・・
今もなお溶岩ドームからは白い噴気が上がっていた。
そして、それから感じたことは・・・
まだ、山は生きている。

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