ここにUPしている画像は今月の23日に這い出てきたイシガメの子亀を撮影したもです。
って事で、正真正銘のゼニガメ。
しかーし、このゼニガメの銭って何だろう?
いやいや、昔のお金って事くらいは知ってますよ。
でも、どのお金を指してんの?
ググっても『甲羅が江戸時代の硬貨「銭」に似ていることから』とか『甲羅が小判型の楕円形をしているから』とは記されているものの的を射たような解説は全くない。
そこで、今日はジジイの自由研究ですよ。(笑)
それでは、早速・・・
先ず、甲羅が小判型の楕円形をしているからと言うのは大間違い。
だって上の画像を見てくださいよ。
ゼニガメの甲羅は小判のような楕円形じゃありませんよ。
だから、天保通宝の當百銭(當百錢)がモデルって話は疑わしい。
また、もう一つは・・・
甲羅が江戸時代の硬貨「銭」に似ていることからと、良く寛永通寳が例に挙げられている。
しかーし・・・
これだけの説明では、この Cherry は納得できない。
ならば寛永通寳の何処がイシガメのチビに見えるのよ?
って事で、この寛永通寳について調べると鋳造は寛永3年(1626年)の銅一文銭(二水永)から始まり、そのデザインを変えながら万延元年(1860年)頃の鉄製4文銭まで製造され、なんと昭和28年(1953年)末までに法的に通用していたと言うのは驚きです。
まぁ、話が少し長くなりましたが、その後、少しずつデザインを変えながら人々の間で長く流通していた寛永通寳ですが、最もイシガメの子ガメに似た寛永通宝となると種類は限られてくる。
何故ならば寛永通寳の背面は殆どが無紋ですから。
そして、その由来となったと思われる寛永通寳が、これ。
これは数多く作られた寛永通宝の中でも寛永通寳真鍮當四文銭(十一波)と呼ばれるものです。
ただ、明和5年(1768年)から江戸深川千田新田に銀座で鋳造された寛永通寳真鍮當四文銭の初版硬貨は十一波よりも波数が多い二十一波だったのですが、翌年の1769年に十一波に変更されています。
そして、この寛永通寳真鍮當四文銭は真鍮(銅と亜鉛の合金)製という事もあり、それまでの赤い銅銭(古い十円玉のような色)や赤錆で煤ける鉄一文銭に比べると黄色に輝くという特徴があります。
それでは、再びイシガメに話を戻してみましょう。
今でこそ、寛永通寳真鍮當四文銭は緑青が出て黒ずんだ貨幣ですが、流通していたころはピカピカとは言えないにしても真鍮独特の金色はキープ出来ていたはずです。
そして、イシガメの子であるゼニガメの甲羅も、何処となく黄色を呈している。
これに波銭(なみせん)の模様が加わると・・・
ほら、ゼニがメの甲羅に何となく似ていませんか?
ん・・・、そうかなぁ?
とか言う人のために画像を加工してみました。
恐らく、この寛永通寳真鍮當四文銭がゼニガメの由来だろうととCherryは思うのですが、ご覧の皆さんは、どのように思われますか?
まぁ、これは飽くまでも推測ではあるのですが“ゼニガメ”という名前は寛永通寳真鍮當四文銭が出回った江戸時代の明和5年(1768年)あたりから呼ばれるようになったのではないかと・・・
-★- まとめ -★-
イシガメの子亀であるゼニガメという名前の由来は寛永通寳真鍮當四文銭がモデルであると考えられる。
そして、そのように呼ばれるようになった時期は寛永通寳真鍮當四文銭が鋳造されるようになった江戸時代の明和5年(1768年)以降ではないかと・・・
おわり。