ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

たまに壊れるランクルは人間臭いね

2025年02月04日 | ランクル ドライブ

 昨日、ランクルを使い込むのが楽しい!などという日記を書いた翌日の早朝、ランクルは公道走行中にエンジンが出力を失い停止した。路肩に寄せてハザードを点滅させる。イグニッションは回るのだがエンジンが始動しない。こういう場合は燃料の供給か電気系統か? ガソリン半分、バッテリーオルタネーターではなさそうだ、エンジン熱も適温に保たれ冷却は問題なし。先月はラジエター交換し空気吸口のラバーを交換、鉄が腐ったマフラーの一部も交換している。昨日まで調子が良かったので、突然の全く予期せぬ出来事である。古いランクルを乗り廻す者には公道での故障は覚悟のうえだ。故障の原因が全く分からないので、とりあえずトーイング.レッカートラックを呼ぶ。一時間以上待つことになった。途中ポリスのパトカーが横に付いて窓を開けて何か助けてくれるのかと思ったら、握りこぶしに親指を立ててサムズアップで、大丈夫だろ助けはいらんだろ、という仕草、反射的にサムズアップで返答したら、そのまま走り去ってしまった。1970年や80年の頃のアメ車は路上でよく故障していたのを知っている、今はこうやって路肩で故障している車をほとんど見る事はない。時代はクルマを進化させより壊れ難いクルマによって街は塗り替えられた。トーイングトラックを待つランクルの中で横を通り過ぎてゆく無数の車のノイズとその風圧を感じながら、僕はこのランクルと共に時代に取り残されていっているんじゃないかという感覚に陥った。こういった感覚は古いランクルを愛する男が感じる哀愁の世界なのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランクルは躊躇して使うクルマではない

2025年02月04日 | ランクル ドライブ

 

 今年のニューヨークの冬は氷点下10度の日々が続いている。早朝、太陽が顔を出す頃は氷点下15度まで下がる。ロクマルで通勤していた頃はチョークを引いてエンジンが温まるまで暫くの暖機時間が必要であった。白い白煙を噴出し続け周囲にガソリンが焼けた排気ガスの香りに包まれるとクラッチを推してハンドブレーキを解除して走り出すのであった。そういった一手間があった事が懐かしい。80のイグニッションを回す度に冬季の60使用を懐かしく思う。同時に、我が80は後期型とはいえ28年目を迎えた。意識して眺めると通勤の過程時間で目に入る車の全てが我が80より若い。確かに60よりも若いが80は自分が生活している社会から観ると古い車、旧車なのである。60のラダーフレームが錆びて崩壊して寿命を終えた事を思えばこの80はまだいけそうだ。極寒の続くニューヨークに大量に撒かれる塩化カルシュウムを遠慮することなく踏み潰し、ランクルを使い込む事の愉しみを自身に刻み込むのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NEW LANDCRUISER

2025年01月03日 | LANDCRUISER

 

 街で時々新しいランドクルーザーを見かける様になった。北米ではランドクルーザー200以来ランドクルーザーがラインアップから消えてしまい寂しく感じていたが、ここに来て復活した事を嬉しく思っている。自分にとってのランドクルーザーは60と80、車に対する嗜好が前世紀に置き去りになっており新しい物を求めようとしない姿勢がいつかこの新しいランドクルーザーに接する機会を得たときに変化があるかな?という愉しみ感は持ち得ている。性能は遥かに兄モデルを凌駕している、燃費も乗り心地も申し訳ない。最近80(LEXUS LX450)の錆が下回りは勿論ボディにも浸透が進んでいる。家族や友人、自分のメカニックにまで、そろそろ....... と圧をかけられてはいるが、やはり自分は変態なのであろう、古いランクルが好きなのである。理想を言えば乗換えではなくて追加という選択なのであるが、そうなると古いランクルに乗る機会が減ってしまう。新しいランクルに安心し乗り慣れてしまい、やがて古いランクルを躊躇する事無く手放す時がやってきたとき、なんか自分はつまらない人間になってしまうんじゃないかという恐怖に駆られる。街で新しいランドクルーザーが視界に入った時、その瞬間に起こる心の葛藤を記してみた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心を可視化させるディフェンダー

2024年10月28日 | 日記

 朝の自転車通勤で、常に敷地にディフェンダーが停まっている住宅を見つけた。このデイフェンダーを見る度に過去にアリゾナ州で開催された、オーバーランドエクスポでのオフロード講習会を思い出す。実技に使用されていたデイフェンダーと同色の90である。同じデイフェンダーの存在でも大陸の東西で異なる目的を持って使用されている。実はデイフェンダーの持つ魅力はここにある。西部の荒野での負荷を掛けた使用にも、ニューヨーク郊外の高級住宅外での足としても、その立ち振る舞いは自然で環境にマッチしている、と褒めるのは随分と肩を持った言い方なのかも知れない。人は誰でもアート感覚、芸術性を内に秘めている。各々の秘めた芸術性をビジュアル化し可視出来るとしたら、それは各々がどういったクルマを好むのか?で自身の持つ内的指向を形として掴めるのではないかと思う。その数式を当てはめてみると。朝の自転車通勤の途中で、敷地の中に停められているデイフェンダーを見る度に心が動かされるのは、自分の内面が映し出されている対象を見ているのである。このディフェンダーは常に屋外駐車なんだけど、これも意図された管理方法なのであろうと理解している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラッシックカーショー

2024年10月16日 | VINTAGE CARS


 秋の晴天の休日、地元で毎年開催されるクラシックカーショーに足を運んだ。会場を歩いて廻りながら車のオーナー達とラフに話し込み、楽しい時間を過ごす事が出来た。昨年まで存在した日本から持ち込まれた右ハンドル車が今年は一台も無かった。唯一の右ハンドル車は我々が会場に乗りつけた友人のクラッシックミニのみであった。25年ルールにあやかった右ハンドルのJDM車のブームはピークを超えたのではないか?とも思った。

 オーナー達の車両保有期間が意外と長い事に驚いた。たまたまなのかも知れないが、2、30年はざら。新車の時から所有しており、当時の購入時のインボイスを嬉しそうに見せてくれる。一台の車を長期に渡って保有する事は、そこに歴史が刻まれ熟成されてゆく。家族で保有し、車種にこだわらず家宝に昇進するのである。そうやって年月を重ねた車はやがて家族の一員となる。愛なくしてクラシックカーは保有出来ない。展示されているクラッシックカーが堂々として美しく輝いているのはワックスだけでは無く、愛されているからなのだ。
 
 マッスルカーと呼ばれるアメリカのクラッシックカーはアメリカが強く輝いていた頃の時代の象徴。アメリカ人はそこに誇りを持つのである。なぜならば、それはアメリカのアイデンティティの実体そのものであるからだ。クラッシックカーショウというのは忘れかけている嘗てのアメリカの誇りを再起する為の仕掛であり、アメリカ人の持つアイデンティティを再起する機会なのだと感じた。

 写真はBMW 2002 世界中から部品を集めて細部まで レストレーションされた一台の車の秘めるストリーはネバーエンディングであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週末の開放

2024年10月06日 | 日記

 今年の9月の週日は21日間、その内の14日間はグラベル通勤をこなした。雨天と特別な用事の無い日はいつもより早く起きて暗闇の中を漕ぎ出す。夕方は照明を頼りに誰もいない森の中を抜ける。この生活タームはこれから寒い季節になると継続する事は難しくなる。夏の終わりと秋の初旬は気候的に自転車にいい季節であるのだ。平日に自転車に乗る事で週末が開放された。これは、週末になったら自転車に乗ってトレーニングするパターンとは異なり、週末は何か別の事をしよう!  という試みの気持が湧いてくる。これを週末の開放、あるいは、開放された週末、と自分は呼んでいる。


 週末はランクルにマウンテンバイクを改造して組み上げたトレイルバイクを積みこんで、近くの山へトレイル走行に出かける。トレイル走行はオートバイのトライアルに似ている。普段のオンロードの自転車乗りとは異なる感覚で、バランス、スピードコントロール、スリル、スリップ、転倒、担ぎ、オフロードテクニック等、味わい深いものがある。広い敷地のトレールは複雑で毎回道に迷っている。また、何処をどう走ったのか説明が不可な地形ではあり、冒険心が刺激されて面白い。

結局、週末の開放などとほざいてはいるが、週末がオンからオフに変わっただけである。しかし、堂々と、週末はオフを楽しんでいると言える期間なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Route-29( 国道29号線)

2024年09月09日 | 日記

 今年の夏は猛暑の日本に滞在していました。名古屋からレンタカーを使って山陰地方の島根県にある出雲大社参拝の往復ドライブを試みました。名古屋、三重、滋賀、京都、大阪、兵庫の各県では主に高速道路を活用。移動の為のレンタカーはトヨタハイエースのエクステンションバンの10人乗り、ホィールベースが長く長距離や高速道路では快適でしたが狭い路地や街の駐車場、特に街中の立体駐車場は高さ2.2Mの制限があり2.3Mのハイエースは扱い難さを感じた。

 中国地方の中心を東西に走る中国自動車道のインターチェンジ分岐地点は山陰地方へ抜けるルートが幾つかあるのだが、今回はあえてローカルな道を選ぶ事にした。兵庫県の山崎インターチェンジで降りて鳥取砂丘に繋がる国道29号線を北上する。給油のためにガソリンスタンドに入るとお絞りを渡された。初めての出来事なので、これは顔を拭くものですか、車内を掃除するものですか?などと聞いてみる。流石日本、おもてなしの心が行き届いていると思った。ガソリンを満タンにしてスタンドのおじさんと喋り情報収集、国道29号線、兵庫県と鳥取県の境にある戸倉峠までは一時間以上の道のり。走り出してまもなく山郷の光景が始まる、ツーリングのオートバイ達と沢山すれちがう。この峠の向こう側に隼駅というのがあり、スズキ隼に乗るライダーが多いのかな?などと思った。コーナーは続くが道は綺麗でよく整備されていた。
 
 戸倉峠、兵庫県の山崎から鳥取市へ繋がる国道29号線、曲線半径が150メートル以下のカーブが132箇所存在する約85キロの道。日本全国、何処にでも存在しそうな山郷と青い山並みが続く道だが、今日、こういったローカルロードが面白い。自動車交通網の発展により都市と都市は高速網で結ばれ、移動時間の短縮とより安全な運送経路が存在する。その影響で旧輸送道路であった国道29号線は一見寂れている様にも感じる。輸送トラックはなくなり、おそらく観光バスも通らない?1970、80年代に生産された昭和時代のマニュアル車や現在の86なんかにとっては特に面白いコースかも知れない。日本全国にこういった道は沢山存在するのであろう。起伏があり季節がある、山も海も美しい、食べ物もおいしくバラエティに営んでいる。日本は間違いなくドライビング天国である。
 
*写真は戸倉峠の麓に位置する鳥取県若桜町にある道の駅
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錆を剥がして現実を直視する

2024年08月08日 | LANDCRUISER

 
錆の浸透がランクルの寿命だとすると、錆の侵食の度合いでランクルの年齢を想定出来る。
錆を通じて命や寿命を感じるという事は、物でありながらも生命体。生き物と付き合っている様だ、とする感覚。生き物だから世話がかかる、機嫌を感知する事も必要。また、そいつにより自身が影響を受ける、時に落胆し時に喜ぶ。こんな展開が古いランドクルーザーとの付き合いである。

小ハンマーを使って80のフレームを点検する。錆が発生してしている箇所は指で押してみる。柔らかい感触があればそこは錆が侵食している
のでハンマーで叩く。叩くと錆が落下し、フレームに穴が開くがそこで躊躇しないで剥がれる錆は取り除いてしまう。錆が落ちて穴が開いたフレームの周辺をコツコツと叩き振動を加えると、その開いた穴からフレーム内部に蓄積した泥と錆が落下してくる。



錆を落としたフレームは歪である。しかし、それが現実で、現実を直視する必要がある。フレームにまとわり付いていた錆は今日までその現実を隠蔽していたのだ、これで少しは風通しがよくはった。面白い事に左右の錆のあり方が異なっていたりする。こうやって現実を知った上でランクルと付き合ってゆく。僕はこのフレームの錆の具合をみてランクルの年齢を人間に例えてみる。その上で、ランクルの寿命は人間の様に定められたものではなく、寿命を決めるのは貴方次第!という可能性を知るのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラベル通勤

2024年06月30日 | 日記

 とある自転車のパーツのパッケージの箱に、楽しみ (FUN) と自由 (FREEDOM) を追及する人々へ、という走り書きのメッセージが記されていた。いいメッセージだと思った。少しだけ説明を追加するならば、FREEDOM の意味の中に開放感という要素が含まれている。楽しみと自由を追求する手段として今のアメリカではグラベルバイクの需要が増えている。そういう時世に後押しされて、自由を形にし、その味わいを確かめるために、自称グラベルバイクなるものを組み上げた。消耗品のゴムやワイヤー類は別として、パーツ類は、もらいもの、ひろいもの、既にあるものを活用した。とりあえず形になったバイクは金を掛けなかった事と試行錯誤を繰り返した結果により、自由を体得する道具となった。
 
 写真は朝の出勤途中、森の中で出会った鹿に挨拶をし、シカとされているところです。出勤にかかる時間は、朝は70分。最近は野いちごのシーズンを迎えたので自然の恵みにあやかり、それを摘まみながら帰路につく故に帰りは2時間かかる。岩を越えて木の根っこを乗り越える、時々転ぶ。ふとした瞬間に、俺って何にやってんだろ?って思い自問する…。 この夏は週一のペースでグラベル通勤を実行している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スクリーンの中のディフェンダー

2024年06月17日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 チェックインしたホテルの部屋でテレビのスイッチを入れると、少し昔の映画かドラマを放送していた。刑事ものの様で、そこに登場する主人公の駆る車がディフェンダーであった事から暫く見入った。英語圏ではあるが場所は不明。趣味として、あるいは思い入れて扱う旧車ではなく実用の道具として使用されるディフェンダーの姿に魅力を感じた。肩の力を抜いて畏まる事もしない、道具として活用されるべく生産されたディフェンダーがディフェンダーらしく存在している。主人公がどんな車に乗っているかによって、その番組を観る観ないを決める視聴者の意識しない心境。また、乗っている車によって登場人物の印象も決まる。我々も各自が自分の人生の主人公である。どんなクルマを相棒として乗っているかによって、他人は地あなたの前でチャンネルを据え置くのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする