昨日、ランクルを使い込むのが楽しい!などという日記を書いた翌日の早朝、ランクルは公道走行中にエンジンが出力を失い停止した。路肩に寄せてハザードを点滅させる。イグニッションは回るのだがエンジンが始動しない。こういう場合は燃料の供給か電気系統か? ガソリン半分、バッテリーオルタネーターではなさそうだ、エンジン熱も適温に保たれ冷却は問題なし。先月はラジエター交換し空気吸口のラバーを交換、鉄が腐ったマフラーの一部も交換している。昨日まで調子が良かったので、突然の全く予期せぬ出来事である。古いランクルを乗り廻す者には公道での故障は覚悟のうえだ。故障の原因が全く分からないので、とりあえずトーイング.レッカートラックを呼ぶ。一時間以上待つことになった。途中ポリスのパトカーが横に付いて窓を開けて何か助けてくれるのかと思ったら、握りこぶしに親指を立ててサムズアップで、大丈夫だろ助けはいらんだろ、という仕草、反射的にサムズアップで返答したら、そのまま走り去ってしまった。1970年や80年の頃のアメ車は路上でよく故障していたのを知っている、今はこうやって路肩で故障している車をほとんど見る事はない。時代はクルマを進化させより壊れ難いクルマによって街は塗り替えられた。トーイングトラックを待つランクルの中で横を通り過ぎてゆく無数の車のノイズとその風圧を感じながら、僕はこのランクルと共に時代に取り残されていっているんじゃないかという感覚に陥った。こういった感覚は古いランクルを愛する男が感じる哀愁の世界なのである。
今年のニューヨークの冬は氷点下10度の日々が続いている。早朝、太陽が顔を出す頃は氷点下15度まで下がる。ロクマルで通勤していた頃はチョークを引いてエンジンが温まるまで暫くの暖機時間が必要であった。白い白煙を噴出し続け周囲にガソリンが焼けた排気ガスの香りに包まれるとクラッチを推してハンドブレーキを解除して走り出すのであった。そういった一手間があった事が懐かしい。80のイグニッションを回す度に冬季の60使用を懐かしく思う。同時に、我が80は後期型とはいえ28年目を迎えた。意識して眺めると通勤の過程時間で目に入る車の全てが我が80より若い。確かに60よりも若いが80は自分が生活している社会から観ると古い車、旧車なのである。60のラダーフレームが錆びて崩壊して寿命を終えた事を思えばこの80はまだいけそうだ。極寒の続くニューヨークに大量に撒かれる塩化カルシュウムを遠慮することなく踏み潰し、ランクルを使い込む事の愉しみを自身に刻み込むのだ。