ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

長距離運転に対する体力について

2021年07月25日 | 日記

 先週は仕事の関係で久し振りのロングドライブを味わった。朝の5時半に自宅を出発して帰宅は夜中の11時、途中に休憩を挟み5回ブラックコーヒーを口に運んだ。走行距離は820マイル(1320キロ)を刻んだ。朝に昇る赤い丸い太陽を目視し、夜に丸く赤く不気味に空に浮かぶ月の光景を楽しんだ。帰宅後はややバランス感覚を失い足がふら付く感があり、その夜は昼間に摂取したカフェインの影響で目が冴えて深く眠る事が出来ず、浅い眠りの中で意味浅な夢か妄想を観ていた様である。翌日はその疲れが蓄積していた様で仕事中に一時深い眠りに落ちた。

 昨年の今頃に比べると世は活気が復活しアメリカの独立記念日を境にアフターコロナの雰囲気がある。しかし、フリーウェイの休憩所やお店にはマスクを付けて入店する人々を意外と多く見かける。それらの人々はワクチンの摂取を静観している人々である。ワクチン接種が進んでいると謳われているアメリカであるが、少なくともアメリカの北東部ではそうではなさそうである。

 長距離運転はリスクとのコインサイドであり、常に緊張が伴い気を抜く事は出来ない。その緊張感を長時間維持するという事が長距離運転の秘訣となる。そしてその維持力を別名で体力と呼ぶことがある。自身の経験からいうと、若い頃の長距離運転には常に眠気が伴っていた記憶があるので、それと比較して今の方が体力があるという現実となる。そう考えると、車を運転する為の体力というのは何か?というテーマに対しての糸口が見つかってきそうである。自身の中ではそれを体力だと述べるのか、或いはコーヒーのカフェインの効果なのかは整理の付かない門答のままである。長距離運転を糧としているトレーラードライバーに対しては頭が上がらないが、時々行う長距離運転は自身の体力を知る機会でもあった。

 

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黄色いTOYOTA SUPRA

2021年05月30日 | 日記

 昭和の時代に日本のお茶の間を沸かせた覆面レスラー、ザ.デストロイヤーさんが青春時代を過ごしたニューヨーク洲北部のエリー地区。街と街を繋ぐ中継の長いフリーウェイは平地で緑の森と草原が続いている。ラジオの地上波が拾うのはカントリーミュージックかバイブルのスピーチ、見慣れてしまった近年の自動車群には心を引き付けられるような刺激は感じられないので退屈気味である。時々爆音を響かせ、風に挑戦するハーレーデビソンが走り抜けて行く。

 

 

 カーラジオのシークが捉えたラジオチャンネルの声が流れ出した。切れのある男の声でクリスチャンに向けてのメッセージであった。内容に耳を傾けていると背中がゾクゾクしてきた。プレイ(祈り)とかジーザス(イエスキリスト)というキーワードが出て来なかった事から、このスピーチは牧師が語っているものではないと感じた。ラジオのボリュームをもう少し上げる。

 

 近年の世界と米国の情勢の話、小説家ジョージオーエルの作品1984年が引用され、アメリカの主要メディアの報道方針を語り、今の時代の危機の本質についての解説であった。最後の方になって話の途中であったのだが電波の入りが悪くなり雑音が混入しブリーフィングは消えていってしまった。再びラジオのシークボタンを押してみる。

 

 黄色いオハイオナンバーのトヨタスープラが走り抜けて行った。2時間程走った道の先はにバッファローの街がある。ザ.デストロイヤーさんが晩年においてバッファローの自宅で強く思っていた心の支えが、もう一度日本に行きたい。であったと聞く。

 黄色いスープラは前方に消えていった。情報や話題、そして人間関係も僕の横を通り過ぎて行く黄色いスープラの様だと感じた機会であった。

 

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寿司とスクリーンのランクル

2021年05月13日 | 日記

 ニューヨーク洲の北部、カナダとの国境に近い街で夕食に寿司ボックスをテイクアウトしてホテルにチェックイン。寿司を食べ初めてテレビのリモコンでチャンネルをスキャンすると、画面に白いランドクルーザー60が出てくるではないか、ここに来てランクル60目撃である。これは The Kingdom というハリウッド映画であった。2007年に公開された映画で、1996年のサウジアラビアが時代と場所の設定である。テロリストとの戦いを描いた作品で終始血生臭い展開であった。サウジ警察のパトカーであるランドクルーザー60はチラッと登場するだけではなく、主人公と共にしつこく何度も登場した。1996年が時代の設定であるならばランクル80の時代であるべきなのに、なぜ60なのか?という疑問が生じた。おそらく、主人公が乗るクルマはカッコよくなければならない、作品として楽しんでもらうためには60の方がインパクトがある。そういう理由だったのかも知れない、ランクル60の存在は時代の情勢を表現し、戦う男達の道具としての存在に相応しいと感じた。意図しないランクル60の目撃であった。結果、スクリーンの中の60の光景はよく覚えているのだが、食べた寿司の味を思い出せないでいる。

 

 

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ロング トレイルラン

2021年04月12日 | 日記

 天候の良かった先週のある夕方。トレイルランニングを終えて道の路肩に停めていた4ランナーに戻って車のドアを開けようとした時、いつも隠して置いている箇所に車の鍵が無い事が判明。窓から車内を覗き込むとバックシートの上にちゃと置いてあるではないか、鍵は目の前にあるのにドアも窓もしっかりと閉まっている為にその鍵を掴む事が出来ない。周りを見渡すと2台ほど車が停まってはいるが人の気配は全くない、ヤバイ!どないしょ?一瞬焦った。車の中には、口にしょうとしていた水、財布、携帯電話、そしてマスクもある。陽は西に傾いてはいるが闇に包まれるまでには2時間程時間が有りそうであった。そこで即決し、自宅まで10マイル(15キロ)程あるがこのまま走ってスペアキーを取りにいく決意をして、藪の中に飛び込み再び起伏の続くトレイルコースを南下した。自分の中から発する声と格闘しながら足を進める、走れメロス。家に着く頃には陽が落ちてしまい辺りは暗くなったのだが、幸い街の明かりに助けられた。走りきれると思い上がっていたが、最後はスタミナが切れそうな状態でとぼとぼと歩くしかなかった、思考も停止状態であった。

 家族の助けを得て暗闇で待つ4ランナーに辿りつく事が出来た。この場所を離れてから4時間以上が経過していた。静かな暗闇の中で持参したスペアキーをドアに差し込んで、鍵の開く手ごたえを感じた。その後に直ぐにイグニッションを回し、ライトを照らす。車に乗り込んでエンジンを掛けるだけの行程に感動した。今日は自分が試された日であった様だ。一年に一回やるかどうかだが、2年に一回はやっている。災いは忘れた頃にやって来る、という教訓を認識して、対策に対する行動が必要なようだ。忘れられない一日となった。

 

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ASAP & AFAS は運転の根底

2021年03月15日 | 日記

 

 最近、10台の若者達にクルマの運転を教える機会がある。アメリカでは多くの州が16歳から自動車免許証が取得可能、運転免許所有者が助手席に同乗する事によって公道での練習を兼ねた運転が可能となる。運転のノウハウの指導はオフロードドライビンではなくてあくまでも公道での安全運転である。技術的なノウハウと同時に運転に対する心構えなども含めて伝えている。落ち着け! 安全のダブルチェック! 状況の想定をしてみろ!  同乗者の気分を害するのでいちいち怒るな! 先行車に対してどれ位の車間距離で走ったらストレスを与えないか体感してみろ! 迷ったら譲れ! 相手の目をしっかり見て意思を示せ! エンジンブレーキの使用実感、フットブレーキが故障した時にいかにして車を制止させるのか、四駆のローレンジを使って深雪の路肩から脱出する、などである。そうやって車の運転という多様な行動を指導していると、自身の斜め上から一つのフレーズが聞こえてくる。そのフレーズとはこのブログの副題となっている、As slow as possible and As first as nessessary. である。このフレーズは本来、ランドローバーのオフロードドライビングテクニックのマントラとして伝授されてきた。正直、10台の若者にこのフレーズを唱えさせたとしても、意味は分るが体感が出来ない。それは中性的なフレーズであるからであるが、不思議な事にレース以外の車の運転に対しての行動分母になっている根底的なフレーズであると実感している。即ちこのフレーズは車の安全運転の為のフレーズなのであり、オフロードを運転しない全てのドライバーにとっても必要な根底となるフレーズなのである。

 

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冬のトレィルバイク その2

2021年02月22日 | 日記

 ランドクルーザーを駆って自宅から北に40分程走った所に Tallman マウンテンというニューヨーク洲にある州立公園に向かった。乾燥した冬の空気は冷たくも澄み切っており、寒いのを承知で窓を開けて走ってみたが、寒さゆえに長くは持たなかった。ランクルの後部にはトレィルバイクが立った状態で乗っており、時々バックミラーで振動で微震するバイクを確認しながらステアリングを握る。Tallman マウンテンは名称こそマウンテンではあるが、山というよりも丘の様ななだらかな地形である。そこには決して長くはないが、自動車が立ち入る事が出来ない未舗装のグラベルロードが森の中を横切っている。天候の良い週末であった事もあり、公園内の駐車場は埋まっていた。

 

 二日前に増雪した親雪は既にハイカー達によって踏み固められており、その踏み固められたコースがバイクの進めるコースであった。この日の最高気温は氷点下であるので、漕げど踏めど寒さで汗が出ない。運動しに来たのであるが寒中訓練の有様である。タイヤのブロックが雪面に食いつく様に空気圧を下げたのは正解であった。多くのハイカーを追い越したりすれ違ったりしたが、中にはクロスカントリースキーに興じる人々もいた。人々は積雪のある季節の冬を楽しんでいる様子であった。これは山にスキー等に出かける冬雪好き人間が、冬の寒さを苦痛なく消化してしまう姿勢に冬を乗り切る秘訣がある事を示している。寒さの中で受ける眩しい日差しの中に春の気の粒子が混ざっているのを感じた。

 

 TLCA が発行する季刊誌である最新のTOYOTA TRAILS が届いた。表紙には雪道を走るブルーのランドクルーザー60。冬の寒さから逃げようとしないで、冬を楽しもうという姿勢が冬を乗り切る秘訣である。

 

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冬のトレィルバイク

2021年02月17日 | 日記

 4年前に友達から貰ったマウンテンバイクを改造して自称トレイルバイクを作った。今年のニューヨークの大雪の期間はこのトレイルバイクを活用している。森の中に出かけ雪と氷と格闘し恐怖を味わう。低ギアで上り坂に挑む、ダンシング(立ちこぎ)をすると後輪は空回りするので、後ろ乗りで体重を後輪に乗せて雪道に対するタイヤのグリップを得て上って行く、それでも時々後輪は空回りし押さえている前輪が横にスライドしバランスを失ってこける。何度転んだかは覚えていないが、地面に大きく叩き付けられたのは2回だった。路面の状況に合わせてサドルの高さを調整する。氷上ではサドルを低く下げて人が歩く様なスピードでバランスをとり、こけそうになったら足を使うのだが、それでもこける。下り坂のスピードは恐怖である。タイヤが食いつかなければコントロールが利かない。恐怖から肩に力が入ってしまい硬直になると制御不能状態となる。一方、タイヤが雪に接触する時の抵抗はかなりのもので、下り坂の途中でも自転車が止まってしまう事もあった。雪道での自転車による前進は難儀なものだ。

 

 それでも、慣れてくると雪をタイヤで踏む音に心地良さを感じる。鹿の家族が道の前方に立って興味深げに僕を眺めている。僕の前にも後ろにも人はいない。長い孤独な雪道を夢中になって前進する。途中ハイキングのカップルとすれ違う、前進するには歩いた方が効率がよい。急な登りの坂道では自転車を降りて押した。雪道での自転車走行は効率の悪いアクティビティなのだが、だからこそアドベンチャーサイクリングなのである。

 

 冬季の森の景色を心に仕舞った。今度は小型の携帯コンロとコーヒーを持参して寛ぎの時間をも楽しみたいと企んでいる。今週は体のあちらこちらが痛む。痛みにも苦痛な痛みと楽しい痛みがある。日常の普通の動作に痛みが伴う時に、生きている、という感覚が伴うのは有り難い事である。この痛みが消える頃には更なる次の痛みを求めたがる、まさに中毒者だ。

 

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アラモの砂地に引かれた剣のライン

2021年01月16日 | 日記

 2019年の冬至の季節にテキサス州を廻り、サンアントニオの街を徘徊した時の光景をよく覚えている。サンアントニオの街は冬休みという事もあり、街の観光スポットであるアラモの砦の周辺は活気があり賑わっていた。砦の周辺で駐車場を探したのであるが、路上の駐車場はスペースが見つからず、有料駐車上へとハンドルを切った。砦の近くの駐車場は値段が高かったので、結局砦から離れた場所にそれ程高くない有料駐車場を見つけてそこに落ち着いた。昼食を取って駐車場に戻る時に砦の前を横切った。これからメキシコとの国境の街デルリオまでの4時間程のドライビングが控えていたので、残念ながらアラモの砦で時間を過ごす事が出来なかった。今ではそれが悔いになっている。だからだろうか?アラモ、と聞くとハッ!と感じる感覚が起こる。

 今週、トランプ大統領がテキサス州の国境に近いアラモという小さな町で演説を行った。米国人はアラモと聞くと必ずアラモの砦を思い浮かべる。おそらくそういった意図でアラモの町が選ばれたのだと思う。そして、アラモという名称の持つ言霊(メッセージ)は ”戦いに対して命を捧げる決意” なのである。

 1835年の当時、現在のテキサスはメキシコ領であった。当時のメキシコのサンタ アナ将軍の中央集権的な独裁政権に反旗を翻したのがアメリカからの移民達であった。彼らの抵抗の一つがアラモ伝道所での立てこもりで200人に満たない義勇な男達であった。1836年3月6日の早朝にメキシコ軍の複数の連帯が襲撃を開始し、朝日が昇る頃には砦の義勇兵は全滅となる。1836年4月21日、アメリカ軍の司令官サムエル ヒューストンは800人の軍を率いて1500人のメキシコ軍に奇襲攻撃を仕掛けメキシコ軍を壊滅させ、翌日にはサンタ アナ将軍を捕らえるに至った。結果、サンタ アナ将軍の命と引き換えにテキサスの領地の主権を手に入れ、後にサムエル ヒューストンは独立したテキサス共和国の大統領となった。その時のアメリカ軍の合言葉が、"REMEMBER THE ALAMO" である。

 アラモの伝道所で当時メキシコの政権の軍隊と戦う前に一つの儀式が行われたと言われている。

 3月3日或は3月4日にトラヴィス中佐が砂に彼の刀で線を引き、アラモに残留し、死んでも構わないと望む全ての者に線を越えるよう招き入れたとの伝説が残されている(wiki より)

 予感ではあるが、トランプ大統領がアラモの町に現れたのはこのトラヴィス中佐が砂の上に刀で線を引いて、勇気のある奴はこの線を越えてこちらに来い!と言葉ではなくて象徴とテレパシーで世界に伝えたのではないかと感じている。この線を越えた奴は激しい攻撃に遭い蜂の巣の様になって死ぬ(殉教する)覚悟が必要である。しかし、聖書の教えの中にもある様に、生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる、である。

 テキサスは1845年に条約によってアメリカ合衆国に併合し加盟した。テキサスは合衆国の一つの州となる時に他の州とは異なって、ある状況下に置かれた時には離州するという条件の下で条約の署名を行っている唯一の州である。その、ある状況下が新政権と共に目の前に訪れようとしている。アメリカでは既に分断が始まっている。アメリカの国旗が変わるかも知れない。同盟国である日本も必ず大きな影響を受けるのは免れない。その激動は世界を巻き込む事になる。近い将来アメリカというのはテキサス共和国の事を示す事になるのかも知れない。

 

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冬晴れ

2021年01月10日 | 日記

 今日は快晴の冬晴れの日、氷点下の気温の中を自転車トレーニングで走ってきた。外気が冷たいが故に運動してもあまり汗は出ないのだが、それに代わって涙と鼻水がぽたぽた落ちてくる。集中して走り終えると仕事等でズレが生じた精神と肉体がキチンと噛み合った様で、それが一つの達成感となり、また今週も頑張れるという気持ちになれる事が嬉しい。

 先週、一つの話題を耳にした。1999年の夏に小型飛行機事故で亡くなったJFKジュニアが、あの世から戻ってくるらしい。トランプが大統領になる前から今日に至り終始守護霊としてあの世からトランプを助けて来たが、今のアメリカが遭遇している危機に対していてもたってもいられない気持ちになり、黄泉の支配者の一人、大天使のガブリエルに相談し懇願した所、いってQ(来い!)という許可が降りた。という事です。マジかよ?と言う様な話題ですが、本当ならばまた会える日を楽しみにしています。この話題で今週は元気が維持出そうです。

 

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2021年元旦

2021年01月01日 | 日記

 

2021年、明けましておめでとう御座います。

 昨晩の年越しの時間は家族でテレビの前で迎えました。カップヌードのそばを食べてカーボンローディングをし、ニューヨークのタイムズスクェアでのカウントダウンの中継が終わると、早々とベッドで意識を失ってしまいました。今朝は晴れ。陽が昇る前にジョギングシューズを履いて家を飛び出し、氷点下の森の中を駆け抜け、初日の出を拝み体内にビタミンDをしっかり蓄え帰ってきました。

 ニューヨークのマンハッタンから昇ってきた真っ赤な日の出の太陽と視線を合わせ、元旦の挨拶をしました。太陽は魂のある生命体で我々人間の行いを宇宙の彼方から静観しています。その太陽は物理的には遥か遠い場所に位置しますが、自分の心を胸の中心に置くとその真横にも存在し、空の陽と同じように光を放ったり曇ったり沈んだりします。昔から、おてんとう様が見ていると言われているのはこういう理解なのだと認識しました。今年2021からは特に、おてんとう様を味方にして生きる。という指針を意識して生きたいと思いました。

 今週は次期アメリカ大統領選出という歴史的なイベントが水曜日にワシントンDCの議会で行われます。おてんとう様もこの日を楽しみにしている様です。この日のDCの天候は晴れであって欲しいと思います。

 

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YOTA 2020

2020年10月18日 | 日記

  今年もまたTREAD誌の企画誌である YOTAが発行された。2ヶ月毎に発行されるTREAD誌のサブタイトルは、GUIDE TO AUTOMOTIVE ADVENTURE & OUTDOOR LIFE STYLE である。このサブタイトルが現在の車を活用してアウトドアを楽しむという時代のトレンドをシンプルに表現している。YOTAの情報に目を通すとトレンドのキーワードはADVENTURE である。テーマはGEARED FOR ADVENTURE である。そのテーマに貢献するのが現行の TACOMA, TUNDRA, 4RUNNR であり、 今年のYOTA誌において取り上げられたランドクルーザーは表紙にある右ハンドルのLANDCRUISER78 のみである。以前はTRD OFFROADが主題になっていたが、今もそのグレードを持つこの3種が北米トヨタの主力オフロードモデルである事には変わりが無い。

 情報誌は多大にコマーシャル的要素で成り立つビジネスである。そこには時代のトレンドを受身的ではなくて先導的に導き出す姿勢が求められている。時代のトレンドを追う、追いかけるという存在姿勢ではなくて、トレンドを創出する、模索し新しい道を開く水先案内誌の存在となる事が四駆情報誌界のサバイバルでありアドベンチャーである。自らアドベンチャー誌と名乗るこのYOTA誌はその一環を背負っている様に感じる存在である。

 

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Palisades Interstate Park

2020年10月17日 | 日記

  

 コロナにおける外出規制は長期化すると考え、それに対する覚悟と自制心を持つ事が必要な時世である。先の事は全く分らないが、アメリカのある研究所の予測では少なくとも後2年はこの生活状況が続くという見解である。この10月に入ってから周辺の街々でコロナの陽性者が増えてきている事から、秋から冬に掛けての第二波到来への警戒が高まってきている。

 今年は遠方へ出かけて行く機会が少なかった御蔭もあり、自分の住む地元にあるPalisades Interstate Parkというハドソン河に面した東西20キロ幅1キロの険しい起伏のある自然公園をより深く知る機会に恵まれた。今まで遠方を睨んでいた視線を自分が暮らしている街の近辺に集中する状況になった。その結果、州立公園内のほぼ全てのハイキングトレイルを走破するに至り、今まで知らなかった岩場や滝や植物の群生、或いは多数の展望地と避暑場を頭にインプットした結果、公園はもはや他所ではなくて我が庭に変貌した感覚がある。これからもこの自然公園とのお付き合いは暫く続く予定であるが、季節と共に変わり行く自然の変化が楽しい。コロナが無ければ知る事が無かったニューヨーク郊外の自然の美しさである。これから寒い季節になると森を訪れる人も減るであろうが、そうなれば益々森は俺のものになるのである。

 

 

 

 

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人間界と自然界

2020年09月16日 | 日記

 我々が生きるこの世の事を3次元世界と呼ぶが、更に一歩踏み込むと人間の住む世界と天然な自然の世界が存在しており、そこには曖昧な住み分けが成され、2つの異なる世界が同時に存在している。人間は生存と繁栄の為に自然界のアセット(財)を自分が主人の様に思い扱ってきた。自然界との共存を無視して人間の貪欲な行程が過ぎると必ず自然界からのしっぺ返しがやってくる。大きな視点から観るとその現象が自然災害であったりコロナの蔓延であるのかも知れないが、それは自然界と人間界が共存する為のバランス調整でもある。しかし、自然界は人間界が存在しなくとも(むしろその方が)繁栄するが、人間界は自然界がなければ存在不可なのである。そういった現実を改めて理解すると、人間界と自然界は平等な存在ではなく自然界の忍耐と犠牲の上で生かされているのが人間界の現実である。そういった基本的理解は学校では教えてはくれないが、古代人や非文明的と呼ばれる人々にとっては常識的な理解である。現在に生きる我々がアウトドアアクティビティで自然界と接触を持つ機会において、まず最初に理解しなければならないのが自然界>人間界に対する存在理解なのである。

 人間が自然界に足を踏み入れる時に遭遇するのが妖怪の存在である。妖怪は怖いバケモノのイメージがあるが人間が自然界に接触する時に現れる事が多い様なので、その正体は自然界の精霊なのではないだろうか。日本列島が昭和の工業化時代を向かえた時、空気や水の汚染、環境破壊や公害が問題になった時代には自然界に沈住していた妖怪が驚いて跋扈した時代であった様に感じる。

 森の中をトレイルランニングをしていると時々妖怪に遭遇し悪戯をされる。妖怪が現れるとどの様な事が起こるかといえば、道に迷う。昼間の明るい時間に、曲がるべき所が過ぎたのか、まだなのか分らなくなり引き返す事になる。口に何かが放り込まれる。虫か種か土か分らないがその味は正露丸の味そのものだ。上から砂の様な黒い小さな粒が一瞬ぱっと降ってくる。上を見上げると木もない、そこには空があるだけ、風に運ばれた木の種子か人工衛星の炭か、或いは砂かけばばあか?そういった現象は妖怪の存在が無ければ気のせい、或いは何かの自然現象で終わってしまうのであろうが、妖怪のせいにした方が楽しく感じる。ランドクルーザーの後ろのハッチを開けると、人間世界から自然界への入り口が開く。今日もまた2つの世界を行き来するのだ。

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宇宙の歯車が噛み合う時

2020年09月12日 | 日記

 我々の身の回りに起こる出来事には時々不思議だと感じる事が起こる。僕はこういった現象を宇宙の歯車が噛み合った時の現象だと理解している。

 昨日は仕事が終了したのが夕方の7時、携帯で日の入時間を確認すると7時10分と出ている。仕事が終了したので気分の修正の為にジョギングをして汗を流そうかと思っていたが、もう直ぐ辺りは暗くなり闇に包まれてしまう。僕のジョギングコースはパリセィドインタースティツパークという南北に長い森の中のハイキングのトレッキングコースで陽が落ちると不気味で非常に危険なコースではある。行こうか止めようか少しだけ迷ったが、迷うなら行くとして公園の森の中の駐車場にランクルを停めて日が暮れた薄明かりのトレールを走り出した。

 一時間程薄暗い森の中を走りぬけ駐車場のランクルに戻った時には既に辺りは真っ暗闇であった。ランクルのハッチを開けて汗を拭き水を飲んで着替えようとしていると、いきなり後ろから太い男性の声が…、エクスキューズミー、キャンナイアスクサムシン? ここからステイッアウトルックまでどれ位の距離があるかご存知ですか?とハイキングの格好した紳士が聞いてきた。その場所までは5マイル(約8キロ)ある。聞くとそこに自分は車を停めており、ここまで歩いて来たのだが予想以上に長く陽が沈んでしまったとの事。そこに自分で戻るには暗い森の中の今来た道を戻るしかないのである。廻りを見ると森に囲まれた真っ暗な駐車場には我がランクルしかない。

 遠回りになったがスティッアウトルックの駐車場までランクルで送ってあげた。最後に何かを差し出そうとしていたが丁寧にお断りした。困った時はお互い様だよ、僕とランクルが役にたって良かった。グッドラック! それにしても不思議だ。今日は走ろうかどうか迷ったが、走って良かったのだ。もし僕がこの時間にここに来なければ彼は闇中を彷徨い途方に暮れていたではないだろうか。そう思うと、結果的に彼を助ける為に僕は今日ここに導かれたのである。まさに宇宙の歯車が意図されて噛み合っているようで背筋がぞくぞくした。

 暗い夜の帰り道を運転していると、前方にニューヨークマンハッタンのワールトトレードセンターのツインビルの敷地から追悼の光の光線が空高くまで伸びているのが見える。今日は9月11日の追悼日である。災いは忘れた頃にやってくる。そういった意味でも惨事を追悼し継続して思い出す事は小さな事ではあるが平和への貢献に繋がるのではないだろうか。自宅に着いて彼を乗せた後ろの座席を見てみると、彼が使用していたであろうマスクがころがっていた。これは、今日の出来事を忘れないように、と示すなんぞの意図ではないかと思った。あのハイカーの正体は森の妖精だったのかも知れない。

 

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2020年の夏 

2020年08月21日 | 日記

  

 盆が過ぎても暑い夏の日々が続いている。今年の夏はコロナの影響で仕事の遠征が出来ない。他州や他国に遠征に行くと帰宅時に2週間の自主隔離期間を設けなくてはならない事情がある。幸いな事にコロナの状況下においても仕事は忙しく、トライスティッと呼ばれる地元の、ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット州テリトリーでの徘徊を繰り返している。

 上の今週の写真はニューヨーク洲を東西に横断するフリーウェイ90号線上で、ローチェスターという街に近づいている所である。右手側の空の下はカナダとの国境にある五大湖の一つである長いオンタリオ湖であり、その南西部にはナイアガラの滝が展開している。昨年の夏季には多くの観光客がこのフリーウェイを利用しナイアガラの滝を訪れていた。当地のホテルの宿泊料金も強気な値段であったのだが、今年はカナダとの国境も閉じたまま、中国からの観光客も来ないので、ナイアガラの観光地等は閑古鳥が鳴いている状態である。暑い夏は続いているが、観光産業にとっては今年は夏が無く長い冬が続いているだけだ。こうして、ニューヨーク洲北部の短くとも美しい2020年の夏は過ぎ去って行くのである。人間社会においてはコロナ対策であたふたした状況が続いているが、空を見上げれば大地は眩しく美しく輝いている。

 

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