レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)「園田の居に帰る五首(其一・二)」-楽しい読書361号

2024-03-03 | 本・読書
(まぐまぐ!)古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2024(令和6)年2月29日号(No.361)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首 其の一・其の二」」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年2月29日号(No.361)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首 其の一・其の二」」
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 昨年10月以来の「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」です。
 26回目は、前回に引き続き、陶淵明の第3回です。

(陶淵明 第1回)
2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」-楽しい読書351号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/09/post-b68999.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/d371c2c2141932565db7fac1a67c1150

(第2回)
2023(令和5)年10月31日号(No.352)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.10.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)「飲酒二十首 其の五」-楽しい読書353号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/10/post-7e3a1c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/fb0ed419e609fae5ca4d419eb039fc2a

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◆ 故郷に帰って新しい生活を ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)

  ~ 陶淵明(3) ~
 「園田の居に帰る五首 其の一・其の二」
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今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より



 ●田園に帰る

40歳過ぎで官職をなげうって、故郷に帰った陶淵明。

その隠居後の生活をうたった連作「園田の居に帰る五首」は、
42歳頃の作とされます。

 《隠居直後の開放感、新しい生活に入る覚悟から、
  農作業が思うようにゆかない悩み、本当にこういう生活でいいのか
  という心細さなど、いろいろの感慨が詠まれています。》p.335

題「園田の居に帰る」は、「耕作地がついている実家に帰る」の意。
使用人も大勢いて、ある意味事業を始めるような感覚に近い、
といいます。

「園田」の「園」は果物能義や野菜など、草木が植わっている広い庭で、
「園田」は「耕作地が備わっている実家」の意味で、
「田園」は、素朴に「田畑や庭」の意味に使う、といいます。


 ●「園田の居に帰る五首 其の一」陶淵明

第一首は、《窮屈な役人生活を辞め、故郷に帰ってやっと安らぎを
  取り戻したようすを詠んでいます。》p.337


★「園田の居に帰る五首」陶淵明 ★

帰園田居五首 其一
  園田(えんでん)の居(きよ)に帰(かへ)る五首(ごしゆ) 其(そ)の一(いち)

・最初の四句は、
 《本心に反して長いこと役人生活を続けてきたことの告白》p.338

少無適俗韻  少(わか)きより適俗(てきぞく)の韻(いん)無(な)く
性本愛丘山  性(せい) 本(もと) 丘山(きゆうざん)を愛(あい)す
誤落塵網中  誤(あやま)つて塵網(じんもう)の中(うち)に落(お)ち
一去十三年  一去(いつきよ) 十三年(じゆうさんねん)

 私は若いときから世俗にかなう気質がなかった
 もともと山や丘などの自然、俗世間を離れた環境が好きだった
 それがなにかのはずみで間違って役人生活に入り込み
 十三年が経過してしまった


・次の四句では、《本心に素直になって役人生活を辞めたことを、
  鳥や魚のたとえを使って述べます。》p.338

羈鳥恋旧林  羈鳥(きちよう) 旧林(きゆうりん)を恋(こ)ひ
池魚思故淵  池魚(ちぎよ) 故淵(こえん)を思(おも)ふ
開荒南野際  荒(こう)を南野(なんや)の際(さい)に開(ひら)かんとし
守拙帰園田  拙(せつ)を守(まも)つて園田(えんでん)に帰(かへ)る

 かごの中の鳥は、
  自分がもといた森をいつまでも忘れられずに思い続けるものだ
 池に飼われている魚も、自分がもといた川のふちを思い慕うものだ
 今、自分は南の野原の片隅で荒れ地を開墾しようと拙を守り、
 そういう自分の個性を大事にして、農村に帰って来た 


・第三段からは、
 《具体的な描写に入り、自分の家を簡単に紹介します。》p.339

方宅十余畝  方宅(ほうたく) 十余畝(じゆうよほ)
草屋八九間  草屋(そうおく) 八九間(はちきゆうけん)
楡柳蔭後簷  楡柳(ゆりゆう) 後簷(こうえん)を蔭(おほ)ひ
桃李羅堂前  桃李(とうり) 堂前(どうぜん)に羅(つら)る

 田舎の家の四角い敷地は十畝余りである
 茅葺(かやぶき)の屋根の家は八つか九つの部屋しかない
 楡(にれ)や柳の木が裏側の庇(ひさし)に覆いかぶさっている
 桃や李(すもも)が表座敷の前に並べて植えてある


・次は、《家からの村里の眺め。まずは遠景。》p.339

曖曖遠人村  曖曖(あいあい)たり 遠人(えんじん)の村(むら)
依依墟里煙  依依(いい)たり 墟里(きより)の煙(けむり)
狗吠深巷中  狗(いぬ)は吠(ほ)ゆ 深巷(しんこう)の中(うち)
鷄鳴桑樹巓  鷄(とり)は鳴(な)く 桑樹(そうじゆ)の巓(いただき)

 我が家からぼんやり見える、遠くの人々が住む村
 かすかにゆらめくかまどの煙
 犬は奥まった路地で吠えており
 鶏は桑の木のこずえで鳴いている

犬や鶏は、戦国時代以後、理想社会の象徴だと言います。


・最後の四句は、《新しい生活への満足感を述べます。》p.340

戸庭無塵雜  戸庭(こてい) 塵雜(じんざつ)無(な)く
虚室有余間  虚室(きよしつ) 余間(よかん)有(あ)り
久在樊籠裏  久(ひさ)しく樊籠(はんろう)の裏(うち)に在(あ)りしも
復得返自然  復(ま)た自然(しぜん)に返(かへ)るを得(え)たり

 家の戸口や庭に、煩わしいごちゃごちゃした事は入り込んで来ない
 余分な物のない部屋にはゆとりある空間がある
 私は長いこと、檻やかごのような、
  本性を押さえつける俗世間に居続けたが、
 今やっと再び本来の自分に帰ることができた

樊籠の「樊」とは鳥かご、「籠」は鳥や虫を入れるかご。
束縛されていた役人時代の生活を意味します。


 ●「園田の居に帰る五首 其の二」陶淵明

一首目は、《観念的に理想を追う形で官職を辞した》陶淵明の
まだ開放感に溢れた内容でした。

二首目からは、
 《農作業の実体験をつむうちにいろいろなものが見えて来て、
  それとともにさまざまな思いがわき起こるようになりましたが、
  (略)それを素直に吐露している作品》です。


帰園田居五首 其二
  園田(えんでん)の居(きよ)に帰(かへ)る五首(ごしゆ) 其(そ)の二(に)

・まずは、《自分自身の今の生活環境から歌い始めます。》p.341

野外罕人事  野外(やがい) 人事(じんじ)罕(まれ)に
窮巷寡輪鞅  窮巷(きゆうこう) 輪鞅(りんおう)寡(すくな)し
白日掩荊扉  白日(はくじつ) 荊扉(けいひ)を掩(とぎ)ひ
虚室絶塵想  虚室(きよしつ) 塵想(じんそう)を絶(た)つ

 町から外れた辺りでは、人の世のいろいろな面倒なことが少ない
 奥まった路地にいるから、車や馬が入って来ることも稀である
 私は昼日中にいばらの粗末な扉を閉めたまま
 余分なもののないがらんとした部屋にいて、
  面倒な雑念も湧き起こらない

《車や馬に乗るのは、貴族や政府高官で、そういう人の訪れもなく、
気楽である》という状況です。
「塵想」は、「ごちゃごちゃつまらない俗念」の意味です。


・次の四句は、《村人たちとの関係です。》p.342

時復墟曲中  時(とき)に復(ま)た墟曲(きよきよく)の中(うち)
披草共来往  草(くさ)を披(ひら)いて共(とも)に来往(らいおう)す
相見無雜言  相見(あいみ)て雜言(ざつげん)無(な)く
但道桑麻長  但(ただ) 道(い)ふ 桑麻(そうま)長(ちよう)ずと

 時おり村の片隅にいて
 草を掻き分け、踏み分けるようにして、近所の人々と交流する
 お互いに出会っても余計な話はしない
 ただ桑や麻の具合を語り合うだけである

《農業関係の話しかしない》と、《貴族社会への批判が入っている》。


・最後は、《体験から滲み出たのか、新しい視点が入っています。》p.342

桑麻日已長  桑麻(そうま) 日(ひ)に已(すで)に長(ちよう)じ
我土日已広  我(わ)が土(ど) 日(ひ)に已(すで)に広(ひろ)し
常恐霜霰至  常(つね)に恐(おそ)る 霜霰(そうさん)の至(いた)つて
零落同草莽  零落(れいらく)して
        草莽(そうもう)に同(おな)じからんことを

 日に日に桑や麻は成長し
 わが耕作地もだんだん広がってゆく
 いつも心配しているのは、霜や霰に見舞われて作物が枯れ萎み、
 ただ草むらのような意味のない、無駄なものになってしまうことだ


陶淵明の生きた東晋の時代はやたら天災の多かったといい、
それが彼の家が没落した理由の一つでもあるのでは、と
宇野直人さんは推測しています。
それだけに気になるというわけですね。

 ・・・

今回はこの辺で。

次回は、引き続き、「園田の居に帰る五首 其の三・四」を。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)「園田の居に帰る五首 其の一・其の二」 」と題して、今回も全文転載紹介です。

40歳すぎで役人を辞めて故郷に帰り農家をやる、今時でもありそうなUターンのパターンですが、当初の開放感はいつまでも続くことなく、故郷といえども土地の人に馴染めるのか、農作業に馴染めるのか等、その土地にはその土地ならではの色々な悩みがあるものでしょう。

さて次回はこの続きとなります。
その辺のところはどうなんでしょうね。

 ・・・

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)「園田の居に帰る五首(其一・二)」-楽しい読書361号
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