―第257号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記
2019(令和元)年10月15日号(No.257)
「私の読書論124-蔵書と人生」
10月12日は、台風19号が日本に襲来、
各地で大きな被害を出しました。
16号の千葉での被害も相当なものがありました。
私も昨年は台風21号で怖い思いをしました。
東日本大震災以来、といいましょうか、
近年、災害の規模が大きくなってきています。
数十年に一度といった天災が頻発しています。
多くの被災された方々には
心からお見舞い申し上げます。
これといって力のない私には、
ただ言葉を贈ることしかできません。
一日も早く平穏な生活に戻られることを心からお祈りいたします。
13日、
ラグビー日本代表はうれしい勝利を挙げ、
ワールド・カップ史上初のベスト8進出を決めてくれました。
被災者の皆様方にもきっと力となったことと思います。
ラグビー日本代表、
ならびに被災者の皆様方に、
(横田順彌の明治SF小説に登場する)
早稲田大学応援団長の虎髭将軍・吉岡信敬ばりに、
心から声援を送りたいと思います。
奮えー(フレー)!奮えー(フレー)!
レフティやすお
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2019(令和元)年10月15日号(No.257)
「私の読書論124-蔵書と人生」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今回は、蔵書と人生について考えてみます。
乾くるみさんの小説
『セカンド・ラブ』(文春文庫 2012/5/10)
のなかにこんな一節があります。
《「この本、サトやん、全部読んだの?」/(略)
「ええ、いちおう」/
「本なんて、一回読んじゃえば、
それで終わりなんじゃないのか」/
「まあ、読み返すことなんて滅多にないですけど。
でも手元に残しておきたいじゃないですか。
これまで生きてきた証として」/
「これがサトやんの人生ってわけか」》p.184
さて、私の場合も……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私の読書論124-
― 蔵書と人生 ―
生きてきた証としての蔵書
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●三つの本棚のほとんどが文庫本で埋まっている
●かなり猛烈な読書家
●『白鳥の歌なんか聞こえない』の場合
庄司薫『白鳥の歌なんか聞こえない』(中公文庫 改版 2002/10/10)
新潮文庫 2012/3/28
《大きな天井までとどく本棚を眺めた。/
「これ、みんな読んだの?」と彼がきいてきた。/
「(え?)」/
「ふうん。大変だ。」と、彼は、でも相当にあっさり言った。
「でも、ぼくは、もうこんなに本を読んだよ。」/
ぼくは、彼がその両手をいっぱいに拡げて、
本棚にあてはめるようにしているのを眺めて、
なんとなくニコニコしてしまった。/
「十年ぐらいかかるかな。」と、彼は溜息をついた。/
「うん、そうだなあ。」》新潮文庫 p.198
●“もの”の力
●“もの”に転換された人生
●重い遺産
●傑作だけ読んでいても世界はわからない
《「傑作だけを読もうとする人間は気に入らない。
それは世界を知らない証拠だ」》p.275
『ネルーダ事件』ロベルト・アンプエロ 宮﨑真紀訳
ハヤカワ・ミステリ 2014/5/1
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本誌では、乾くるみさんの小説『セカンド・ラブ』にあった言葉を基に、蔵書と人生について考えてみました。
私も数量的には多読家ではありませんが、本が友達という読書家です。
自分の蔵書は、やはり「これが私の生きる道」ならぬ、「私の生きてきた道」といえるでしょう。
といったのは、ショウペンハウエルです。
(「思索」より―ショウペンハウエル『読書について 他二篇』斎藤忍随訳 岩波文庫)
しかし、我々のような凡人にとっては、読書こそが「生きた、読んだ、考えた」私の人生なのです。
・・・
では、詳細は本誌で!
*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』
--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論124-蔵書と人生
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2019(令和元)年10月15日号(No.257)
「私の読書論124-蔵書と人生」
10月12日は、台風19号が日本に襲来、
各地で大きな被害を出しました。
16号の千葉での被害も相当なものがありました。
私も昨年は台風21号で怖い思いをしました。
東日本大震災以来、といいましょうか、
近年、災害の規模が大きくなってきています。
数十年に一度といった天災が頻発しています。
多くの被災された方々には
心からお見舞い申し上げます。
これといって力のない私には、
ただ言葉を贈ることしかできません。
一日も早く平穏な生活に戻られることを心からお祈りいたします。
13日、
ラグビー日本代表はうれしい勝利を挙げ、
ワールド・カップ史上初のベスト8進出を決めてくれました。
被災者の皆様方にもきっと力となったことと思います。
ラグビー日本代表、
ならびに被災者の皆様方に、
(横田順彌の明治SF小説に登場する)
早稲田大学応援団長の虎髭将軍・吉岡信敬ばりに、
心から声援を送りたいと思います。
奮えー(フレー)!奮えー(フレー)!
レフティやすお
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2019(令和元)年10月15日号(No.257)
「私の読書論124-蔵書と人生」
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今回は、蔵書と人生について考えてみます。
乾くるみさんの小説
『セカンド・ラブ』(文春文庫 2012/5/10)
のなかにこんな一節があります。
《「この本、サトやん、全部読んだの?」/(略)
「ええ、いちおう」/
「本なんて、一回読んじゃえば、
それで終わりなんじゃないのか」/
「まあ、読み返すことなんて滅多にないですけど。
でも手元に残しておきたいじゃないですか。
これまで生きてきた証として」/
「これがサトやんの人生ってわけか」》p.184
さて、私の場合も……。
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私の読書論124-
― 蔵書と人生 ―
生きてきた証としての蔵書
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●三つの本棚のほとんどが文庫本で埋まっている
●かなり猛烈な読書家
●『白鳥の歌なんか聞こえない』の場合
庄司薫『白鳥の歌なんか聞こえない』(中公文庫 改版 2002/10/10)
新潮文庫 2012/3/28
《大きな天井までとどく本棚を眺めた。/
「これ、みんな読んだの?」と彼がきいてきた。/
「(え?)」/
「ふうん。大変だ。」と、彼は、でも相当にあっさり言った。
「でも、ぼくは、もうこんなに本を読んだよ。」/
ぼくは、彼がその両手をいっぱいに拡げて、
本棚にあてはめるようにしているのを眺めて、
なんとなくニコニコしてしまった。/
「十年ぐらいかかるかな。」と、彼は溜息をついた。/
「うん、そうだなあ。」》新潮文庫 p.198
●“もの”の力
●“もの”に転換された人生
●重い遺産
●傑作だけ読んでいても世界はわからない
《「傑作だけを読もうとする人間は気に入らない。
それは世界を知らない証拠だ」》p.275
『ネルーダ事件』ロベルト・アンプエロ 宮﨑真紀訳
ハヤカワ・ミステリ 2014/5/1
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本誌では、乾くるみさんの小説『セカンド・ラブ』にあった言葉を基に、蔵書と人生について考えてみました。
私も数量的には多読家ではありませんが、本が友達という読書家です。
自分の蔵書は、やはり「これが私の生きる道」ならぬ、「私の生きてきた道」といえるでしょう。
《読書は自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。》
といったのは、ショウペンハウエルです。
(「思索」より―ショウペンハウエル『読書について 他二篇』斎藤忍随訳 岩波文庫)
しかし、我々のような凡人にとっては、読書こそが「生きた、読んだ、考えた」私の人生なのです。
・・・
では、詳細は本誌で!
*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論124-蔵書と人生
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