先日ライアー響会の講習会がありました。
ご存じのとおり、
ライアーという楽器はシュタイナーの思想より生まれた楽器なので
「シュタイナー教育」のレクチャーがありました。
講師の先生によると、
シュタイナー教育とは・・・
「自分が自分でいられることをサポートする教育」であると。
つまり・・・
太郎君は、あくまでも太郎君であり、
太郎君以外にはなれない。
だけど、どうしても周りの大人が
太郎君を太郎君以外の次郎君、あるいはマイケル君にしようとする。
タンポポの種からはタンポポの花しか咲かない。
だから、太郎君という人間は太郎君にしかなれない。
いかによりよい太郎君になれるかが大事・・・だと。
その講義を聞きながら
あれこれと自分の中で思いを巡らしていました。
「自分が自分でいられる」「自分が自分らしくいること」
ということは、案外難しいことかもしれません・・・
子供は素直なので小さい時は「自分らしく」振舞います。
でも、その子供にかかわる周りの大人たち
つまりは「両親」が「自分らしく」生きていないとどうなるか・・・
「自分らしく」生きていない人は
「自分らしく」生きている人が許せなくて
ときにはつぶしにかかります。
こういったことは無意識のうちに行われます・・・きっと。
つまりは・・・
子供にかかわる、親や先生が自分らしく生きて
初めて、子供たちの「自分らしさ」を認めて、
それを伸ばすことができるようになるのでは・・・?
「育児」は「育自」であるとよく言われることですが、
子供にかかわりながら
子供も、親もよりよい「自分」
より自分らしい「自分」を探すのかな~・・・と
うーん、奥深いな~と思いながら講義を聞いておりました。
いいオトナだって
よりよい自分になることが一番大切なこと・・・かも・・・です。
ご存じのとおり、
ライアーという楽器はシュタイナーの思想より生まれた楽器なので
「シュタイナー教育」のレクチャーがありました。
講師の先生によると、
シュタイナー教育とは・・・
「自分が自分でいられることをサポートする教育」であると。
つまり・・・
太郎君は、あくまでも太郎君であり、
太郎君以外にはなれない。
だけど、どうしても周りの大人が
太郎君を太郎君以外の次郎君、あるいはマイケル君にしようとする。
タンポポの種からはタンポポの花しか咲かない。
だから、太郎君という人間は太郎君にしかなれない。
いかによりよい太郎君になれるかが大事・・・だと。
その講義を聞きながら
あれこれと自分の中で思いを巡らしていました。
「自分が自分でいられる」「自分が自分らしくいること」
ということは、案外難しいことかもしれません・・・
子供は素直なので小さい時は「自分らしく」振舞います。
でも、その子供にかかわる周りの大人たち
つまりは「両親」が「自分らしく」生きていないとどうなるか・・・
「自分らしく」生きていない人は
「自分らしく」生きている人が許せなくて
ときにはつぶしにかかります。
こういったことは無意識のうちに行われます・・・きっと。
つまりは・・・
子供にかかわる、親や先生が自分らしく生きて
初めて、子供たちの「自分らしさ」を認めて、
それを伸ばすことができるようになるのでは・・・?
「育児」は「育自」であるとよく言われることですが、
子供にかかわりながら
子供も、親もよりよい「自分」
より自分らしい「自分」を探すのかな~・・・と
うーん、奥深いな~と思いながら講義を聞いておりました。
いいオトナだって
よりよい自分になることが一番大切なこと・・・かも・・・です。