ライア-(竪琴)大好き!~Tomoko Leier Salon へようこそ♪~

ライアー(竪琴)奏者の三野友子です。ライア-や日常生活のこと、あれこれを気ままに綴ってます♪

守られているという感覚

2020年05月31日 | 日々思うこと・・・
去年の2月にまごむすめちゃんが誕生して、
本当に久しぶりに新生児を抱っこしました。

まだこの世に生まれたばかりの赤ちゃんは自分ではなにもできず、無防備そのものです。
そんな赤ちゃんを抱っこしていると
無防備な赤ちゃんであるけれども、
何か・・・目には見えないですが、
遠く、遠くからしっかり守られているようなそんな感覚を抱きました。
それはとっても神聖な感覚でした。

遠くの方からふんわりと、赤ちゃんが何かにくるまれているような。
そして、その「ふんわり」したものの中で
すやすやと眠っている赤ちゃんを見るだけで、心の奥でこみあげてくるものを感じました。

私たちはきっともれなく全員、生まれたときには
この目に見えない覆いで遠くからしっかりくるまれていたに違いありません。

それが・・・大人になるとなくなるんだろうか?
否 私たちはみな、もれなく赤ちゃんだったわけで
皆、神聖さを持ち合わせていたはず。

きっと・・・大人になってからも私たちは
遠く、遠くのほうからふんわりと守ってくれているものがあるのかも・・・

ライアーを弾いて、響きに包まれていると
その響きの覆いが私を包みこんでくれるのがわかります。
響きにたとえると、すごくわかりやすいです。

ですから・・・
もしも、あなたがライアーを持っていらしたら
不安に駆られたときには
ライアーを弾いて、その響きの中で安心していられると
少しは心に平安が戻ってくるかもしれません。

明日から6月ですね。
いろいろ予想だにしていなかったことが世の中で起こっていますが
日々健やかでありますように♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気が付けばあじさいが・・・

2020年05月27日 | 日々思うこと・・・
気が付けば、もうあじさいが色づき始めています。
全ての活動が停止して、家で過ごす日々になってから
あ~~~~っという間に2か月です。
2か月って、60日じゃないですか!

本当にこの2か月間は不思議な時間の経ち方でした。
「これから、世の中はどうなるんだろう~?」
という不安も感じつつ
家の中で過ごすのも、またこれが快適すぎて(笑)

緊急事態宣言も解除されて少しずつ日常が戻りつつありますが、
まだまだこれからも大変だろうな・・・と思います。
コロナを機にいろいろ変わっていくことも多いだろうし
その変化に柔軟に向き合っていかなければですね。

季節は初夏が過ぎ、もうすぐ梅雨に・・・
季節のめぐりはどんなことがあっても
確実に確実にめぐります。

ゆっくり深呼吸をして、新しい生活を始めますか!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弦と指の共同作業♪

2020年05月20日 | ライア-日記
今日は寒かったですね。
肌寒いを通り越して、寒い!
今日はあたたかいお茶ばかり飲んでいました(笑)

ライアーに張ってある弦は、スチール弦です。
そのスチール弦を指先を使って音を出していきます。
弦の音がなるのは、指先によって弦に振動が与えられて
その振動が空気に伝わって、あのうるわしいライアーの音色が生まれるわけです。
ああ、摩訶不思議!

どのように弦を振動させていくかで、
生まれてくる音がかなり違ってきます。

つまり・・・
指のどの部分を使うのか
どれくらい弦に対して圧を加えているのか
指はどの方向へ着地しているか
そのあたりが総合的に相まって
弦が振動して、ライアーの音色がうまれます。

ライアーの弾き方というのは
人によって、千差万別です。
もともと、こう弾きます!という規範がないので
教える人によって違うアプローチをしています。
どれが正解とか間違っているという意味ではありません。

私自身、ドイツでライアーを習っていた頃
しっかりと、弾き方を習った記憶がありません(汗)
先生のやることを見よう見まね・・・でした。

ですから、その後に、きれいな音色を出すにはどうしたらいいのか?
ということを自分なりにかなり研究(笑)しました。

今日は弦の着地点のお話しです。
よく、「ライアーを弾くときは、隣の弦に向かって弾きます。」と、教本に書いてあったりします。

例えば、「ド」を例にとると
「ド」の隣の弦って、「レ」ですよね。
指先を「レ」に向かって弾いてレに着地させる。

でもでも、よ~くライアーを見てみてください。
「ド」の後ろ隣に「ド♯」がいるのです!
つまり、「ド♯」も隣の弦と言えば隣の弦なのです。
それで、今度は、「ド♯」の方を少し意識して
「ド♯」の半音階側と、レの両方向に着地することもできるのです。
つまり・・・ドの隣の「レ」と、後ろ隣りにある「ド♯」の二本の弦が作る「谷」に向かって
指が落ちていく感じです。

う~ん、文章で説明をするのが、とっても難しいのです。
上手く伝わっていなかったら申し訳ありません。

つまり、おおざっぱに言って2通りの弾き方があります。
純粋に隣の弦に向かって弾くという弾き方と
後ろ隣りの弦と、隣の弦に向かって弾く、着地させるという弾き方です。

どちらが正解ということはありません。
私はどちら派かというと・・・
後ろ隣り派です(笑)

また、指の第一関節から上の部分のどこを使って弾くかということと
音色もかなり関係が深いのですが・・・

もしも、隣の弦に着地する奏法でライアーを弾いていて、
別の音を出してみたいな・・・
と思われる方がいらしたら、隣と、後ろ隣の弦でできている「谷」に向かって着地してみるということを試してみてもいいかもしれません。

ライアーの種類もいろいろ出てきました。
潜在的に金属音が強めに出るライアーはもしかしたら
弦の後ろ隣り(半音部分)を目指して弾いてみることを試してみると
今までとは違う音色に出会えるかもしれません。

ご自分のライアーをどんなふうに弾いたら素敵な音が出るのかを
今一度、じっくり試してみてはいかがですか~。
先生から言われたことをそのまま忠実にやる事も大事ですが
自分の頭を使って、自分の指を使って
自分であれやこれや試してみるというのも楽しいですよ♪

何か新しい発見があるかもしれません!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私とライアーの歩み その2

2020年05月17日 | ライア-日記
私が22年近く前にドイツでライアーを習い始めた頃、
正直、ライアーという楽器のことは全く分かっていませんでした。
当時小さかった息子をドイツの現地のシュタイナー幼稚園に通わせていたのですが
私自身は特に、シュタイナー教育を熱心に勉強していたわけでもなく(汗)好奇心のほうが大きかったと思います。

ライアーという楽器が、シュタイナーの思想「人智学」から生まれた
クラッシックの楽器でもないし、かといって民族楽器でもないしという不思議な立ち位置にある楽器であるという認識をドイツにいる頃にはほとんど感じたことがありませんでした。

ライアーの先生からも、ライアーの楽器としての成り立ちのことや、
ライアーはどんな楽器なのかということは特には聞いたこともなく。

また、今から考えたら
ライアーの奏法というものを先生からきちんと教えてもらった記憶もほとんどありません。

つまり・・・
こういうふうに構えて
指をこういうふうに使って弾くのよ
という、ごくごく基礎的なことは教えてもらった記憶がほとんどなく
先生がライアーを弾いているのを見よう見まねで必死になって弾いていました(汗)
ただ・・・
最初の先生からは、ライアーがぐらぐらしないように
滑り止めを膝に敷いてくださいねということは言われました。

習い始めたわりと初期の段階から
最初の先生とは、結構難しい曲を弾いていました。
バッハのインベンションとか!

それで、どんなふうに音を出したらいいかとか
具体的なことを習わないままに難しい曲ばかりを弾いている日々は
だんだんとつまらなくなってきたのです。

また、当時弾いていた最初のライアーが
コロイの大型ソプラノ35弦だったので、
この楽器はちょっと初心者には手ごわい楽器で
適当に弾くと、金属音がかなり強い音になるので
それも手伝って、なんだか段々とつまらなくなってきたことを思い出します。

きっと、最初の先生とは、アンサンブルばかりだったので
メロディ部分もしくは、伴奏部分だけの練習になります。
たぶん、それもつまらなくなる要因だったのかもしれません。

でも、ライアーを弾いていること自体は楽しいし
弾いていると、とっても癒されるし。
とにかく、自分癒しのためにもう少しきれいな音で弾けるようになりたい。

ライアーを楽に持って(構えて)きれいな音色を出したいということが
私の大きな関心ごとになっていきました。
指の圧のかけ方
指の使い方
肩、肩甲骨の使い方
左手が動きやすい、楽な構え方
それは本当に試行錯誤の連続でした。

私は楽器のことはよくわかりませんでしたが
ハープにしても、ギターにしても、ソロで弾いている人がいるから
ライアーだって、ソロで弾けるのではないか?

そんなころに、私が「ライアーっていう楽器を習い始めたんだ~」と、日本の友人に手紙を書いたら
その友人から、「友子のやってる楽器って、これ?」って言って
木村弓さんの最初のCD「銀のしずく」(1991年発売)をドイツまで送ってくれました。


このCDには、正直本当にびっくり!しました。
ライアーを使ってこんなふうに弾き語りができる!
日本にライアーでこういう活動をしている人がいるなんて!ということが驚きでありました(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私とライアーの歩み♪

2020年05月13日 | ライア-日記
前回までの、記事で
日本にどんなふうにライアーが広まっていったのかを
何とかまとめたくて、だらだらと書いていました。

書いているうちに、
自分がライアーに出会った頃のことなどいろいろなことが
思い出されてきました。

コロナ自粛でおうちにいる時間が長いので、
きっと自分の人生をいろいろ振り返ってみた方も多いのではないかと・・・

それで、改めて私とライアーの歩みを自分の備忘録用に(笑)書いてみようかなと。
2008年12月に、ライアーを弾き始めて10周年ということで、私とライアーの出会いを何回かに分けて書いていました。もう12年も前の話しですが・・・(汗)

今日はライアー記念日 その1
https://blog.goo.ne.jp/leier-tomoko/e/5ee6b17c5e942ecd3276103dbe0a63e4

今日はライアー記念日 その2
https://blog.goo.ne.jp/leier-tomoko/e/7b2080e3db7556e895ee70c808b4a5a3

今日はライアー記念日 その3
https://blog.goo.ne.jp/leier-tomoko/e/967ef2fe57acabe3c08708d7e1ddf380

今日はライアー記念日 その4
https://blog.goo.ne.jp/leier-tomoko/e/c9615bf14ad29ac40cb440f9490b9993

今日はライアー記念日 その5
https://blog.goo.ne.jp/leier-tomoko/e/be24843b3296fa637e70d4e363efea0e

何というか・・・時間はあっという間に過ぎ去っていきますね~汗
上記のブログ記事がもう12年も前のものだなんて!

今の私が、改めてライアーとの歩みを振り返ってみると・・・
ライアーを弾くようになってから、もうすぐ22年になります(驚!)

記憶が段々怪しくなってきているのですが・・・
22年前当時、私は家族でドイツに住んでいました。
幼い子供と共に過ごしていたドイツの生活は
楽しいこともありましたが、
当時35歳くらいの私にとってはかなりハードなものでした。
今とは違って、インターネットもなく、
暗くて、寒くて、言葉もドイツ語で、娯楽もなくて、おまけに
いろいろと厄介なことばかりが起こって、全然幸せではありませんでした。

日々子供たちを車で幼稚園、小学校に送迎して、やっとこさ家事をこなす生活でした。
そんな中、だんだん心が空虚になってきました。
生きているのがちっとも楽しくありませんでした。

何か自分のためにやりたい。
何か打ち込めることを見つけたい。
でも何を?
言葉が不自由な異国の地で一体、何ができる?

ドイツ人に交じって地元のヨガのクラスに行ってみたり、
水彩画のクラスに行ってみたり
でも、あ~、何か違うな~。

そんな中、息子の通っていた幼稚園のクリスマスのイベントで幼稚園の先生が弾いているライアーに出会いました。
本当に事を言うと、最初の出会いはそこまで感動~!!!ではなかった気がします。(汗)
でも、かわいい、きれいな音色の楽器
それも珍しい!
見たこともない!
日本にはきっとない楽器だろう。
私にもできるだろうか?
楽器が弾けたら楽しいだろうな~。

そう思って、実際に先生を見つけたのは数か月後でした。
それが最初のスタートでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本にライアーがどうひろまったの? その6

2020年05月10日 | ライア-日記
2010年以降にはもうyou tubeが一般化して、ライアー演奏の動画もたくさんアップされ、気軽に見ることが出来るようになってきました。

ライアーのCDも驚くほどたくさん作られています。最初の頃は、ライアーのCDはすべてコレクションしていたのですが(笑)、もう数が多くて今はコレクションしきれていません。

(自称)ライアー奏者の方々もたくさん出てきて(かくいう私もですが・・・汗)、規模は小さいことが多いながらも、あちこちで演奏会をなさる方々が増えてきました。

ここ数年私のHPを通じてのお問合せで顕著になってきたことがあります。
ちょっとびっくりなのですが新規で「ライアーを弾きたいな~と」思っている方々は、現物のライアーを見たことも、実際にライアーの演奏を聞いたこともないという方の割合がわりと多い事です。

つまり・・・「たまたまネットで画像を見た。」とか、
「たまたま動画を見た。」とか、
「ハープを習いたくて、ハープのことを探していたら、ライアーの画像が出てきて、『へ―こういう楽器もあるのね~』と、興味を持ちました。」とか。

インターネットの発達は日本だけではなく、世界的に同じなのですが、例えばドイツでネットの発達により、ライアーを弾きたい人が増えているか・・・というとそうでもないのです。

最近のライアーに感心を持ってくださる方々の傾向として、人の前で弾けるようになりたい。
ライアーを弾いてボランティア活動ができるようになりたい方々が増えてきました。
なかなか、ピアノやバイオリンなどの広く知られた楽器だと、敷居が高いけれどもライアーだと簡単そうだし、きれいな音色だし・・・という理由でしょうか。

小さいころから自分を表現することに何らかの事情でふたをしてしまい、自分を表現するという機会を持てなかった人たちが、「この楽器(ライアー)だったら、私にも弾けるのでは?」
「私も人の前で自分を表現することができるようになるかも」という気持ちになるのかもしれません。

かつての私自身もそうでしたから、お気持ちは本当によくわかります。
ライアーを通じて、音を通じて自分を表現するという
今まで体験したことがないことを経験するって、なんて素敵なことなのでしょうか!

ライアーが日本に上陸してから、かれこれ40年が経過して、その状況は年々変わってきています。
まだまだハープやウクレレ、二胡ほどはメジャーな位置にはなれませんが、
この素敵な楽器が少しずつ日本に広まって、ライアーの音色をお楽しみいただく方が増えてくるといいなと思っています。

ざっと、日本にどうやってライアーが広まっていったかを振り返ってみたく、連載をしてみましたが、なかなかコンパクトにまとめることが出来ず、だらだらと書いてしまいました。

ひとまず、これにて一巻の終わりです!
お読みいただきありがとうございました♪




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライアーはどんなふうに日本に広まったか?その5

2020年05月08日 | ライア-日記
日本でのライアーの広がった経緯をもっとコンパクトにまとめてみたかったのですが、なかなか短くできませね~(汗)

日本でのライアーはまず
1980年代にシュタイナー教育関係のドイツ人の講座からライアーが日本に入ってました。
まずは、ライアーに興味を持った人たちのライアーグループができ、それが、少しずつ数を増やしていきました。

このグループ活動というのが日本独特なもので、ドイツでもライアーグループはあるにはあったのですが、日本のようの趣味のライアーグループとは意味合いがちょっと違うものでした。

ライアーグループは、やはりせっかく弾いているから、
「1年に一回は発表会などをやりましょう!」ということで、発表コンサートなどを開催する。
それを見た人が「わ~、私もこの楽器弾きたいわ」と、グループに参加するという感じで参加者が増えていったと推察されます。
もちろん、シュタイナー教育に興味がある人たちが地元のライアーグループを探して参加するということもあったでしょう。

1991年に木村弓さんが「銀のしずく」というCDを制作なさいます。
このCDは友人がドイツへ送ってくれたのですが、「ライアーのCDが日本で出ている!」という事にびっくり仰天!しました。
もうすでに1988年からライアーを弾き始めた木村さんは演奏活動などもあちこちでなさっていたようです。

その後、1990年代には木村弓さんのようなライアーを伴奏楽器として、自作のオリジナル曲を弾き語りするというスタイルの方々が同時多発的に表れ始めました。
今井千晶さん、藤本美智子さん、小嶋さちほさん、青木由有子さんなどです。

当時、私はドイツにいたのですが、日本でなぜかライアーのCDがいろいろあるという事実にびっくり! そして、そのCD達をドイツにお取り寄せして、本当に熱心に聞いていました♪


2000年代に入ると、少し違う動きが出てきます。
都市部で、カルチャーセンターでライアーを教える方々が出始めてきたのです。
カルチャーセンターは季節ごとに新聞の折り込みチラシなどで、講座の宣伝をしますが、このチラシに掲載されたライアーの写真を見て興味を持ち、ライアーを習い始める方も出始めました。
これはそれまでになかった新しい現象でした。

また、2000年代になると、インターネットがぐっと発達して、ライアーに関する情報などをネットを通して検索することがだんだんできるようになってきました。

そして、その後you tubeが一般化し、ライアー演奏の動画もたくさんアップされて、気軽に見ることが出来るようになってきました。

1980年代にライアーが日本に入ったばかりの頃に比べたら、本当にびっくり!現象ですよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日で、13年でした♪

2020年05月07日 | ライア-日記
すっかり忘れていたのですが、さっきふと思い出したことが・・・
昨日、5月6日は、このブログを開設した、自分的には記念日なのです(笑)

初めてこのブログを書いたのは
2007年5月6日でした。
ということは・・・13年!前です。
今日から、14年目のこのブログ記事になります。

当時はブログが全盛でしたね~。
ブログを立ち上げるのも、当時の私にとっては大冒険!でした。
だって、実名で自分がやっていることをネット上にあげるのですから。

その後、SNSなどが発達して、みんなスマホを持つようになり。
日常的にインターネットが欠かせない世の中になるなんて・・・

この13年間あっという間のような、そうでもないような・・・
でも、自分の13年という年月を振り返ってみたら
あ~、長かった!
そして、いろいろ変わった!

少しずつ、少しづつ歩み続けて
少しづつ、少しづつライアー弾き続けて
今になりました。

楽器を練習することの厳しさ
楽器を練習し続けていくことの厳しさ
ライアーで本当にきれいな音を出すことの難しさ
ライアーで美しくメロディをつなげることの厳しさ
人の前で演奏することの難しさ
人の前で演奏することの厳しさ
人にライアーを教えることの難しさ
人にライアーを教えるために自分も勉強しなければいけない厳しさ

それらは今もずっと続いていることであります。
が、私にとってすべて、よろこび!でありました。
だって、私はライアーが大好きだから。

私ごとき、全然大したことなんて、できません。
が、道端のアスファルトの隙間からそっと芽を出して
5月の風に吹かれて
可憐に咲いているスミレのように
たくましく
しなやかに
軽やかに・・・歩き続けるだけです。

私にとって、ライアーという楽器に出会えたことは
私自身の人生からもらった最大のギフト。

これからも相変わらず
少しづつ、少しづつ歩みを重ねていくだけです。
そう、ライアーの音色を道案内にして♪




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライアーはどんなふうに日本に広まったか?その4

2020年05月04日 | ライア-日記
ドイツなどの欧米諸国と、日本でのライアーの広がり方は全く違います。

ドイツ(スイス)で初めて、1926年10月にライアーが製作されました。
その背景にあったのは、ルドルフ・シュタイナーの人智学。
そのシュタイナーの弟子のエドモンド・プラハトという人がライアーを考案して、ローター・ゲルトナーが実際にライアーを製作。

そのライアーは、障がいを持った子供たちの施設や、共同体でセラピーや教育のために主に使われていました。その後、音楽療法や、シュタイナー学校やシュタイナー幼稚園の中でも使われるようになりましたが、これらの施設はすべて、シュタイナーの人智学の思想に基づいたものでした。

つまりは・・・欧米では、シュタイナーの人智学に関わる人以外は「ライアー」という楽器を見たことも聞いたこともないのです。

最初のライアーができて今年で94年になりますが、そのことは今でもほとんど変わりません。

実際に、私がドイツにいた時に、知り合いのドイツ人のおばさんにライアーの事を言っても理解してもらえないので、「小さいハープ」と説明していました。

シュタイナーの人智学は欧米の国々ではでみんな知っているのか??? 
きっと名前は聞いたことがあるでしょうが、
実際に関りがある人たちの人数はそれほど多くはありません。思想的なことなので、デリケートな部分ではありますが・・・

そういうわけで、ライアーという楽器は欧米ではず~~~っとシュタイナーの人智学という思想の庇護の中で人智学に関りがある人の中で、少しずつ発展していきました。

欧米ではどういう人たちがライアーを弾いているのか? 
ライアーを弾いている人たちのほとんどが、自分の関わる仕事の現場でライアーを使います。
つまり、障がいがある子供の施設で働いていたり、音楽療法士であったり、障がいのある子どもの学校の先生であったり・・・ 
そのほとんどが、教師もしくは、セラピストという立場でライアーを仕事に使っています。
趣味でライアーを弾いている人は、欧米にはほとんどいません。

<日本のグループ活動>
ライアーはまだまだ他の楽器に比べたらマイナーな楽器ですが、世界中でライアーを弾いている人口がダントツに多いのは日本です。それは、なぜでしょうか・・・? 

日本では欧米のようにシュタイナーの人智学に関わる人やライアーを仕事で使用する人はごくごく少数で、大半は趣味で弾いています。

つまり、仕事として、ライアーに関わる人の人数と、趣味でライアーを弾いている人の人数が日本と欧米では真逆なのです。

マイナーな楽器ながらも、本家のドイツよりもはるかに多くの愛好家を持つのはなぜか?
いくつか考えられる要因があるのですが、そのうちの一つとして日本でのライアーの広がりが、グループ活動として出発したからだと思います。

日本でライアーを趣味で弾く人たちのグループ活動が盛んなのはどうしてかな~と思っていたところ、ある人が「それは、日本にはママさんコーラスの文化があるじゃない!」と言われ、ナルホド!と納得をしました。
グループで集まって何かをするのが好きというのは、農耕社会日本人のDNAに刻み込まれた集団本能なのでしょうか。

最初は、音楽の先生や幼稚園の先生、シュタイナー教育に興味のあるお母さんなど、ライアーに興味を持った人たちが集まり、東京にできたライアーの会にはどうやら、「千と千尋の神隠し」のエンディングテーマ「いつも何度でも」という曲でライアーを使って弾き語りをした、木村弓さんもいらした時期があったようです。

木村弓さんは1988年にライアーに出会い、ライアーグループなどに参加し、ドイツへライアーを習いに行ったりしています。その後オリジナルソングをライアーを伴奏楽器として歌うというスタイルを確立。

木村さんがライアーを弾き始めて3年後の1991年には「銀のしずく」というCDを制作しています。
「千と千尋の神隠し」の封切りは2001年だったので、もうすでにその時には木村弓さんは13年間ライアーを弾いてらしたのですね!

この木村弓さんの登場により、「グループ活動」としてのライアー演奏とはまた違う活動スタイルが日本で生まれることになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しいと思えることを・・・♪

2020年05月01日 | 日々思うこと・・・
今日から5月ですね♪
若葉が本当に美しく、外に出るたびに深呼吸!

なかなか出かけることが難しいので、
しばらく、かわいいまごむすめちゃんに会うことができず、
さびしい~(笑)

「そうだ!、会いに行けないけど、絵本を送ろう」と、思って
ミッフィの絵本を買い、まごむすめちゃんに送りました。

ミッフィの絵本が誕生して、今年で65年だそうです!
ミッフィシリーズの翻訳をしていたのが、まつおかきょうこ(松岡享子)さん。

今年85歳の松岡享子さんは、たくさんの絵本や児童書の翻訳を手掛けていらっしゃる方です。
以前にラジオで聞いた松岡さんの言葉が思い出されます。

「この絵本を読んだら、子どもにどういう効果がありますか?」というお母さん方からの質問が増えてきているのよね~と。

目の前にいる子供と絵本を一緒に読んで
「あ~、楽しいな」と思う事だけじゃ、いけないのですか?
そんなふうにおっしゃっていました。

おかあさんと、子どもが絵本を一緒に眺めて
「あ~、楽しいね」って思う事。思えること。
それでいい。それ以上何を望むのか?

その一見、単純なことが本当に本当に大切なんだな~と思います。
むしろ究極!

よく、ライアーを弾きたいですという方で
「ライアーを弾いて、周りの人を癒したいんです」とおっしゃる方が結構いらっしゃる。
それは、とっても素敵なことです。

でも、絵本を楽しむお母さんと子供のように
ライアーを弾いて
「あ~、きれいな音色だな。楽しいな」ってそう思うこと。思えること。
それで十分だと思います。

「癒し」はきっと「癒してあげよう」と思って起こってくることではありません。
ライアーを弾いている人が、楽しく弾いていたら
結果として、周りの人が癒されていた・・・ということが起こるのでしょう。

などということを、まごむすめちゃんに送るミッフィの本を選んでいて思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする