先日、奈良は吉野の「丹生川上神社下社」の
宮司さんのお話を伺う機会がありました。
そのお話で「穢れ」についてお話しがありました。
いわゆる私たちが認識している「穢れ」は
見た目の汚れや(つまりきたない)、
過去に過ちを犯したりということですが・・・
「けがれ」は「氣枯れ」とも書き
「氣」が枯れている状態でもあったのです。
つまり・・・
「気迫」「気力」「気持ち」など
心の中の「氣」が枯れていて
やる気がない状態も「穢れ」(「氣枯れ」)になるのです。
神様は氣枯れを悲しまれ、
元気で朗らかな人のことを喜ばれるとか・・・
神様に好かれたいという下心がなくても(!)
日々自分の内側の「氣」を枯らすことなく
元気に朗らかに生きていきたいものだな~と
しみじみ思いました。
風がきらきらの春になったことですしね・・・
宮司さんのお話を伺う機会がありました。
そのお話で「穢れ」についてお話しがありました。
いわゆる私たちが認識している「穢れ」は
見た目の汚れや(つまりきたない)、
過去に過ちを犯したりということですが・・・
「けがれ」は「氣枯れ」とも書き
「氣」が枯れている状態でもあったのです。
つまり・・・
「気迫」「気力」「気持ち」など
心の中の「氣」が枯れていて
やる気がない状態も「穢れ」(「氣枯れ」)になるのです。
神様は氣枯れを悲しまれ、
元気で朗らかな人のことを喜ばれるとか・・・
神様に好かれたいという下心がなくても(!)
日々自分の内側の「氣」を枯らすことなく
元気に朗らかに生きていきたいものだな~と
しみじみ思いました。
風がきらきらの春になったことですしね・・・