(千葉裁判所は放火されたとする説)
千葉市教育委員会の「社寺よりみた千葉の歴史」(参考文献1)では、「明治6年6月、大日寺を仮庁舎として設置され、翌7年2月3日、吏員永田方辰の放火で焼失して現在地に移りました。」と記しています。ここで「現在地」とは、千葉市中央区中央4-11-27のことをいいます。
この説は、その後も流布しており、千葉県弁護士会史においても、「明治6年6月24日千葉に統一裁判所の設置を通達。6月中、千葉市大日寺に仮庁舎を置く。明治7年2月3日、裁判所吏員の放火によって焼失した。」としており、参考文献1の説を踏襲しています(参考文献2)。
これらによると、初期の千葉裁判所(仮庁舎)は放火されたというショッキングな出来事にあったこととなり、明治のしょっぱなから大事が起こったことになりますが、残念なことに参考文献1、2とも出典を明示していません。そこで、その裏をとってみようと調べてみました。
(千葉裁判所の設置)
まず、千葉裁判所の設置についてですが、明治6年6月24日、「印旛、木更津両裁判所を合して千葉県に移す」旨の布達がなされていることが、公文録で確認できます(参考文献3)。参考文献2では、「統一裁判所」とされていますが、正確には、印旛県と木更津県にあった裁判所を合併して、千葉県に移転させたということになります。しかし、この布達は法令で印旛裁判所と木更津裁判所を合併させただけであり、実際の設置日は異なるはずです。
実際の設置日については、千葉県史編纂審議会編『千葉県史料近代篇明治三』に記されていました(参考文献4)。同書には、「8月7日 千葉裁判所を置かる(本年6月24日司法省達)」とあります。よって、設置日は8月7日となります。6月24日達により、設置されたと早合点してしまって参考文献1、2は書いてしまっているようですが、『千葉県史料近代篇明治三』を見落としたのでしょう。
(仮庁舎は大日寺か)
千葉裁判所では当初の執務がどこで行われたのかについて調べましたところ、これも公文録に参考になる史料がありました(参考文献5)。この史料には、「千葉裁判所の儀は、印旛・木更津両裁判所を廃合した際、千葉郡千葉町において小寺院を借り受けて仮用せしもの」と記載されており、「小寺院」を仮庁舎として執務を行っていたことが書かれています。ここには「小寺院」とだけあり、具体的な名前が書かれておりませんので、「大日寺」であったかは確認ができません。
大日寺は、明治初期には、千葉神社の南にあったのですが、戦後、千葉市稲毛区轟町に移転し、現在も同所にあります。大日寺の敷地後は、昭和38年までは千葉市立児童会館があり、その後現在に至るまで通町公園として利用されています。鎌倉時代か室町時代に造られたと考えられる千葉氏の五輪塔を現在でも保有しており、千葉氏と関係の深い寺でした(参考文献1ー36頁)。
千葉県庁は、千葉神社の旧神官の廈屋を仮用していましたから(参考文献5)、大日寺が裁判所の仮庁舎としされていても不思議はないのですが、それを裏付ける証拠は見つけられませんでした。
(千葉裁判所は放火にあったか)
千葉裁判所が放火されたかですが、これを裏付ける史料は見当たりませんでした。私は、千葉裁判所放火説は成り立たないと考えます。
理由の一つ目は、「千葉裁判所敷地御渡ノ儀上申」(明治8年7月)の記載です(参考文献5)。この上申書は先ほど紹介した、千葉町で小寺院を借り受けて仮庁舎としていたという記載に続けて、小寺院は狭隘であり、広い敷地を購入して、裁判所として稼働したい為に、千葉町字茶屋跡の敷地を購入したいという上申なのです。放火というショッキングな出来事があったのであれば、そのような経緯も書かれてしかるべきですが、文書を読む限り、上申書作成時点では、小寺院の仮庁舎で現在も執務を続けていることが前提とされています。
二番目の理由は、放火されたのは、千葉県庁の仮庁舎であったということです。先ほどご紹介したように、千葉県庁は、千葉神社の旧神官の廈屋を仮用していましたが、明治7年2月3日に放火されています。このことは、『千葉県史料近代篇明治三』にも記載されています。
「2月3日午後第11時 等外四等出仕永田方容火を県庁に放つ。方容曽て監守せる官金300余円を盗み、その発覚するを恐れ、これを焼く。同年6月9日斬に処せられる」(参考文献4)。
明治7年2月3日の放火であること、放火犯人が永田という者であることまでは同じです。しかし、参考文献1では、実際に焼かれたのは県庁であったのに、裁判所に変わってしまい、放火犯人の名前も、永田方容が永田「方辰」になってしまっています。
以上からすると、放火は県庁に対してであり、裁判所ではなかったということになります。
参考文献
1 千葉市教育委員会『社寺からみた千葉の歴史』86頁(1984年)
2 千葉県弁護士会『千葉県弁護士会史』(1995年)
3 国立公文書館所蔵「第98号宇都宮其他裁判所合併ノ布達」(明治6年6月24日)(公文録第167巻)(請求番号公00904100-037)
4 千葉県史編纂審議会編『千葉県史料近代篇明治三』(1970年)2頁(明治6・7年千葉県歴史政治之部)
5 国立公文書館所蔵「千葉裁判所敷地御渡ノ儀上申」(明治8年7月)(公文録第241巻)(請求番号公016828100-007)
5 千葉県史編纂審議会編『千葉県史料近代篇明治三』(1970年)1頁(明治6・7年千葉県歴史政治之部)
「明治6年7月2日、木更津・印旛両旧県の事務を交収し、下総国千葉郡千葉町に県庁を開設す。該町千葉神社旧神官千葉良胤の廈屋を仮用す。」