#仮刑律的例 #13贋金処置
(明治元年十二月、高山県からの伺)
【伺い】贋金を作ったもの等を死刑にしてよろしいでしょうか。朝敵ですら寛刑となる場合がありますが、贋金作りは朝敵に比すれば刑は軽くても良いとも考えられます。如何なる処置とすればよいか至急御沙汰下されるようお願い致します。
【返答】
朝敵に対する軍事非常の御処置は平常の罪科と比較してはならぬものであり、本件は法に照らして処断すべきである。
もっとも、本年正月以前の犯罪であれば大赦となるから、犯行の行われた年月を調べて処置をすべきである。
以上はかなり要約したものなので、元のテクストに即して、できるだけ詳しく訳してみました。
#仮刑律的例 #13贋金処置
高山県からの明治元年十二月の伺い
【伺い】
一 大野郡高山町の源兵衛は、弥助・甚兵衛両人に頼まれて贋金を作りました。
一 高山壱之町の弥助は、源兵衛に依頼し、贋金を作らせたものです。
一 高山壱之町の甚兵衛は、当初贋金を拵えるよう依頼しましたが、その後後悔して贋金を使いませんでした。しかし、贋金事件の主謀者の一人ではあります。
一 高山三之町の利七及び大谷村の清三郎は、それと知りながら、源兵衛から贋金を買い取ったものです。
一 町方村の又右衛門は、清三郎及び藤兵衛の持っていた贋金をそれと知りながら質入をする周旋を行ったものです。
一 高山町方の儀助及び高山壱之町村の藤兵衛は、源兵衛に依頼して、贋金を作らせたものですが、十月から脱走して行方がわからなくなっています。
旧幕府においては贋金に関わったものは、全てこれを死刑に処することになっておりますした。しかし、大逆無道であり、殺してさえ赦してはならない朝敵をも寛刑に処せられております。贋金を者は、もとより重罪ではありますけれども、朝敵に比すればその罪は軽いとも思えます。そこで、贋金作りの者には如何なる処置をすればよいかお伺いします。至急御沙汰ください。
【返答】
朝敵に対する軍事非常の御処置は平常の罪科と比較してはならぬものであり、本件は法に照らして処断すべきである。
もっとも、①本年正月以前の犯罪であれば大赦となり、②9月8日以前の犯行であれば、罪一等を減じるので、犯行の行われた年月を調べて処置をすべきである。
【コメント】
・高山県からの伺い。同県は1868-1871年に岐阜県北部に存在したいた県。幕府領であった飛騨国一円を管轄するために明治政府によって設置されました。
・これまでの伺いは藩からのものが多かったのですが、今回の伺いは県からのもの。藩では、江戸時代から刑事裁判に携わっている人材がいて、明治になってからもその担当者が引き続き刑事裁判を担当していたのでしょう。しかし、今回の伺いを見る限り他の伺いよりも文章の構成からして、練れていない感じを受けます。
・贋金作りは公事方御定書では死刑と定められています。ですから、本件に関わった者は全員死刑とすべきとは思いつつ、朝敵でさえ赦されるのだから、贋金作りの者も赦されて良いのではないかとの発想が、初々しくて面白い。
・明治政府からは「朝敵に対する軍事非常の御処置は平常の罪科と比較してはならぬものである」とあっさりとかわされてしまっています。
・朝敵が赦されるかどうかを考えるよりも
本件犯行の日時がいつかを念頭において、処断すべきというのが、明治政府のアドバイスです。
①本年正月以前の犯罪であれば大赦となり、②9月8日以前の犯行であれば、罪一等を減じることになります。高山県の伺いからは、この布告の認識が不明なため、あえてこの点を返答として指摘したのだしょう。
・②は、明治元年9月8日行政官よりの布告によるものです。
「今般御即位、御大礼を済まされ改元を仰せられたので、天下の罪人の当年9月8日までの犯事は、逆罪、故殺及び犯情許し難きものを除いて、全て罪一等を減じることとする。但し、犯情許し難きものについては、府藩県より口書を添付して刑法官へ伺いを出すべきこと」
・明治天皇の即位大礼は明治元年8月27日に、明治への改元は9月8日に行われています。
・布告に「口書」とあるのは、自白調書のこと。自白があれば有罪とすることができましたので、この口書を証拠として判決を言い渡していました。口書を見れば、事件の全体像が把握できるため、減刑しない例外的なケースといってよいかを見極めるために、明治政府は口書の提出を要求したことになります。