南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

公金横領した家来でも改元前の犯罪は処罰できず #仮刑律的例 #14大赦による罪科の扱い

2023年09月25日 | 仮刑律的例

#仮刑律的例 #14大赦による罪科の扱い
(信濃飯山藩からの伺・超訳)
【伺い】明治元辰年十二月廿日
一 藩の家来が、昨年藩の印を偽造し、四名の者とつるんで貸主から650両を騙しとりました(藩が貸主に弁償)。また、それとは別に藩の金を千両以上使い込んでおりました。 家来は死罪、その他四名は永牢(終身刑)でよいでしょうか。
【返答】
当春に大赦の布告をしている。昨年以前の犯罪は赦さないとダメ。

以上は超訳したものなので、元のテクストに即して、できるだけ詳しく訳してみました。

【伺い】明治元辰年十二月廿日
当藩の家来が、昨年藩の印を偽造し、他四名と連印して650両を借入れるという詐欺事件を起こしました。650両は藩の方で貸主に返済し、藩には返済されておりませぬ。また、この者、調べましたら、藩の金を千両余り使い込んでおりました。
家来は重々不埒であり死罪申し付けるべきですが、先般のご布告もありますので、如何に処置すべきかご教示ください。
一 650両をだまし取ったその他四名については、藩の方への被害弁償もありませんが、家来と異なり藩の金の使い込みはありませんので、死罪から一等減じて永牢(終身刑)としたいがよろしいでしょうか。
【返答】辰十二月廿七日
当春に大赦の布告をしており、昨年の罪科は赦すべきである。
但し、このような家来を置くことは藩に迷惑であろうから、家来から外してもよい。
【コメント】
・信濃飯山藩からの伺いです。現在の長野県飯山市に藩庁がありました。同藩は、享保2年(1717年)、本多氏が越後糸魚川藩より入封、以降本多氏10代が明治維新まで飯山城に居を構えていました。この伺いは、正式には本多乙次郎(本多助寵)の名前で出されております。
・問題となっているのは、家来の詐欺・横領事件。家来がその他4名(おそらくこよ4名は家来ではないのでしょう)と共謀し、貸主から650両を詐取。この事件をきっかけにして調べてみたら、千両以上の使い込み(業務上横領)が見つかりました。
・この犯罪、昨年以前に起きています。伺いの日付が明治元年十二月ですから、飯山藩さんは今まで何をやっていたんだろうかということになりますが、この辺り小藩(2万石)の弱みなのかもしれません。
・ところで、明治に改元となったことで大赦が出されており、この年一月以前の犯罪は大赦の対象となってしまいます。明治政府の返答はこれを踏まえており、昨年以前の犯罪は処罰できず、赦さなけれぱならないとされています。
・本来であれば、死罪になっていた飯山藩家来・その共謀者ですが、飯山藩の処理の遅さから命拾いしました。
・以前備中浅尾藩のケースを紹介しました。このケースは、家来が藩の公金1640両を盗んだというものですが、大赦以後の犯罪なので、死罪は間違いなしというものでした。たった一年の違いでこのような違いが出てしまうのが、大赦のスゴいところです。

主家の大金を盗んだ者はさらし首 仮刑律的例 #4梟首 - 南斗屋のブログ

#仮刑律的例#4梟首(要約)(明治元年九月、備中浅尾藩からの伺)当藩の家来が①本年7月、留守居役の者から提出された証文をすり替えて百両を藩から...

goo blog








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする