南斗屋のブログ

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色川家に女児誕生 文政11年8月下旬・色川三中「家事志」

2023年09月04日 | 色川三中
文政11年8月下旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

文政11年8月21日(1828年)
利兵衛殿(叔父)は婚活中。昨日、横田常八殿らが、稲吉(現かすみがうら市)まで行っておふみ殿という候補を選んだ。明後日におふみ殿を迎えに行くというので、馬を一匹出すよう手配した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
利兵衛は三中の叔父さん。昨年4月に破産し、その後三中のもとで働いていました。嫁を迎えるほどには経済的に余裕が出てきたようです。「稲吉」は現在のかすみがうら市稲吉。土浦市街からは7−8キロと日帰りで行くことごできる距離。そこに住むおふみ殿が利兵衛の妻候補。
土浦城 大手門跡-稲吉(7.4 km)

土浦城 大手門跡 to 稲吉

土浦城 大手門跡 to 稲吉


利兵衛の破産

文政11年8月22日(1828年)晴
ひものやとのトラブルの件。間に入っている者から、解決できそうとの報告。示談書の案が相手方から出てこないので、自分で書いて相手に渡してもらうことにした。本来は相手から案を出すべきなのだが。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中はひものやに家を貸しています。ひものやは、借りている家に三尺の庇を三中の許可なく作ってしまい、その始末をどうするかがトラブルの内容です。せっかちな三中は、示談書(原文:書付)の案文を自分で作成してしまっています。相手から出てこないのは、それなりの理由があるような気がしますが…。


文政11年8月23日(1828年)
三中先生は、本日休筆です。
#色川三中 #家事志


文政11年8月24日(1828年)
三中先生は、本日休筆です。
明日、再開予定。
#色川三中 #家事志


文政11年8月25日(1828年)大風 晴
おふみ様が、昨夕付添い(横田常八殿)と共に馬で稲吉(現かすみがうら市)にお帰りになった。おふみ様は利兵衛殿(叔父)の婚活相手。
#色川三中 #家事志
(コメント)
おふみさんが、土浦に来るという予告はあったものの(8月21日条)、土浦での動向の記事はなく、いきなり帰りの記事。利兵衛とのことがどうなったかも書かれていません。この辺が三中の日記の特性。その日その日で興味のあったことを書く。抜け漏れがあっても気にしない。


文政11年8月26日(1828年)
ひものやとの件は結局合意できず。竹中七兵衛殿から、「ひものや鉄五郎が違うことを言い出した。合意できそうにない。書いてもらった示談書案すら受け取らないのだよ」との話し。
#色川三中 #家事志
(コメント)
ひものやとの貸家をめぐるトラブルは、合意できそうという話しもあったのですが(8月22日条)、結局合意できず。ひものや鉄五郎の土壇場でのちゃぶ台返しがあったようです。三中が書いた示談書案も無駄に。



文政11年8月27日(1828年)甲午 雨
せゐ(妻)、朝産気づく。とり上げばばを呼ぶ。夕六つ(午後6時)、女子出生。
#色川三中 #家事志
(コメント)
おめでとうございます!
色川家に新しい命の誕生です。三中の初めての子。「とり上げばば」は産婆。里帰り出産ではなく、婚家での出産。病院もありませんから自宅出産一択。


文政11年8月28日(1828年)晴
早朝、従業員を谷田部(妻の実家)に遣わし、子が生まれたことを知らせる。板橋の不動尊にも人を遣わし、御守りの返上と御礼参り。名主にも届出。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日女児誕生(名前はまだない)。妻の実家に従業員を行かせ、その足で板橋 (つくばみらい市)の不動尊への御礼参り。名主にも届出。名が決まる前の届出なのですね。
土浦城 大手門跡-不動院(板橋不動尊) (20 km)

土浦城 大手門跡 to 不動院(板橋不動尊)

土浦城 大手門跡 to 不動院(板橋不動尊)



三中の信仰篤い板橋の不動尊。現代でも板橋(つくばみらい市板橋)の地にあります。大同年間(806~809年)の創建とされ、本尊不動明王は国の重要文化財。「板橋不動尊」「板橋のお不動さん」として古くから関東一円に親しまれ信仰されています。

茨城県の板橋村 - 南斗屋のブログ

(はじめに)土浦の薬種商色川三中の日記を読んでいます。日記中に「板橋」という地名が時々でてくるので(末尾参照)、茨城県にも板橋があるのか&...

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文政11年8月29日(1828年)
・昨日、利兵衛殿(叔父)からは初産衣をいただく。
・谷田部の飯塚(妻の実家)から、おとねが下男と共に来る。鰹節二本、米一升をいただく。
#色川三中 #家事志
(コメント)
女児誕生3日目。出産の祝い品。叔父さんからは初産衣。妻の実家からは鰹節二本、米一升。

文政11年8月30日(晦日)(1828年)雨
・子の出産祝いに、とり彦から糯米(もちごめ)二升の祝いをもらう。
・下館色川与助の二十一周年忌。金二朱と二百文を遣わす。お寺には米一升、銭百文を遣わす。
(コメント)
女児誕生4日目。出産の祝い品。とり彦からは糯米(もちごめ)二升。
法事の記事、21周年忌。現代よりも様々な事象で贈答がありますね。おカネも結構かかったでしょう。

8月31日
旧暦に31日はなく #色川三中 #家事志 はお休みです。


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