妻鹿国府山城は姫路市飾磨区妻鹿、市川の河口にあります。
羽柴秀吉の播磨侵攻にあたり黒田職隆(父)と孝高(官兵衛)は、天正5年(1577年)、「天正8年(1580年)ともある」
姫路城を秀吉に譲り、妻鹿国府山城(功山城)に移ったと言われています。
荒神社の参道横に妻鹿城跡への登山口が有ります。
主郭までは20分程で登れます。
馬駆け
経塚跡からは瀬戸内海が見下ろせます。
狼煙(のろし)郭跡 (鍛冶屋) 通称かなくそ
二層の隅櫓(すみやぐら)跡
主郭跡
主郭跡からの眺望、姫路城、広峰山、書写山、土器山、青山古戦場など姫路が見渡せます。
庭園郭
磐座跡(いわくらくあと)
黒田職隆廟所(法名:黒田宗円・官兵衛の父)が妻鹿国府山城を少し南に行った所に有ります。