以前、やはり正月番組だったと記憶しているのですが、白虎隊を描いたドラマを観たことがあります。
そのときは、堀内孝雄の歌に号泣した記憶もあるのですが、誰が出演していたか、肝心なことが記憶に残っていない…
今回のドラマでは「You Raise Me Up」が主題歌になっていますが(今も脳内でリピート中)、ドラマ全体を通して、大島ミチルさんの音楽がすっごく良かったですね。
さて、ドラマの舞台である会津。
母方の縁戚が福島の二本松にいるので、ご近所の会津若松には時々訪れていたのですが、一番記憶に新しいのは、やはり、大河ドラマ「新選組!」の時に、堺@山南とヤマコー@土方のトークショー目当てで会津若松に行ったときでしょうか。
今回のドラマの中でも、山下君と聖君が会津若松の駅に降り立ったシーンを見たときに、3年前のあの暑い夏を思い出しました。
懐かしいなあ……若かったなあ……
というわけで。
今回の新春スペシャルドラマ「白虎隊」は、なんとなく、「新選組!」の続編「新選組!!」のそのまた番外編……キャスティングはまったくカブってませんが、そんな感じで観ましたよ。
会津の殿様は、どこか可愛らしさのある筒井さんから、お顔がシャープなヒガシに変わりましたが…
ドラマの中でも名前が出ていましたが、二本松少年隊も含め、武芸は習えど一度も人を斬ったことのない少年たちが、白虎隊として銃と刀をとって戦わざるをえなかった時代…
「家老西郷頼母の助言通り、さっさと降伏していれば、こんな悲劇は起きなかったのに」というのは、現代を生きる私たちが、現代の常識で思う考えであって、当時の会津にとって、「幕府と帝を守るという正義」を貫いて京都守護職という、誰もが避けた役目を背負ってきた自分たちが、なぜ降伏しなくてはいけないのか?という悔しい思いがあるわけで。
「新選組!」を観ていた時もそうでした。
京都の治安を守る、という正義の名のもとに組織された新選組。
京都守護職だった容保公のために、その力を存分に振るった新選組が、追われるように西の京都から東の江戸へと、衰退への道を行く姿に「彼らの正義は決して間違ってたわけじゃない!」と悔しさと哀しさで胸をいっぱいにしながら見ていました。
今の時代に生きていれば、もとい、今の時代でなくとも、戦さえなければ青春を謳歌していたであろう少年たちが、会津武士の誇りを胸に、容保公のため、冷たい雨が降り注ぐ中、銃剣を手に行軍し、敵と刃を交わす姿に、もちろん結末は分かってはいても、彼らの決死の思いに心をはせると「神様、どうか奇跡を」と思わずにはいられない。
かつて、テレビでのインタビューで堺さんが「一つだけ歴史を変えられるとしたら?」という質問に「鳥羽伏見で勝つ!」と答えたように。
つくづく思いますよ
私の中にも北の血が流れているんだなと
今回のドラマは、内館牧子氏の脚本ということで、残される母たちの姿や思いがとても丁寧に描かれていて、子供を戦場に送り出す母親たちのそれぞれの心情が切々と胸に迫ってきました。
中でも、峰治の母、しげが特に秀逸でしたね。息子には絶対に見せようとはしない、息子を愛しく思う深い情。
命を持ち帰った峰治を「よく帰ってきた」と迎えるしげ。
人知では計り知れない母という存在の、まさに海よりも深い愛情。
子を思う母親の気持ちは、こんな切羽詰った状況にならないと気づかないものなのかなあ…
というか
そのまえに
薬師丸ひろ子が山Pのお母さん役ということと、薬師丸ひろ子本人が山Pの親と同い年ということに、軽~くショックを受けました。
ま、たしかに
私だって考えようによっては、中学生くらいの子供がいてもおかしくない…
飯盛山での白虎隊隊士の自決は、ドラマでも語られていましたが、少年たちだけだったので城が燃えていると見間違えた、もしもその場に大人が一人でもいたら、そんな勘違いは起きなかったのではないかと言われていますよね。
当時の数えで16、7歳。今の年齢にすれば15、6歳。
少年たちだけで、いつ敵の攻撃を受けるか分からない不安を抱えながら、冷たい秋雨の中を行軍し、やっとの思いで辿り着いた飯盛山で、炎上している城下を見たら希望も失せるってもんですよ……
我々は何も悪いことをしていない!と叫ぶ家老たち。
苦渋の決定の末に城にあがった降伏の白旗。
長州の前で膝を屈した容保公の姿。
以前
「新選組!」の頃に書いていたブログで、「私はもともと倒幕派が好きなのだけど、組!を見てたら倒幕派が嫌いになりそう」と書いたことがありました。
まあ、倒幕派にも彼らの正義や思いや誇りがあって、それに共感できるから決して嫌いにはならないけれど、明治維新後、東北奥羽列藩への新政府の仕打ちには、やはり臍を噛む思いが。
どちらが「悪」というわけじゃないのに
互いに互いの正義と武士としての誇りを胸に戦っただけなのに
勝てば官軍 負ければ賊軍
正義っていったい何なのだろう
誇りって何なのだろう
今もなお、それぞれの「正義」や民族の「誇り」という大義名分のもと、世界のそこかしこで起こっている戦い
正義の使い方を間違っているんじゃないか
誇りの解釈を間違っているんじゃないか
そんなことを思うのです
そのときは、堀内孝雄の歌に号泣した記憶もあるのですが、誰が出演していたか、肝心なことが記憶に残っていない…
今回のドラマでは「You Raise Me Up」が主題歌になっていますが(今も脳内でリピート中)、ドラマ全体を通して、大島ミチルさんの音楽がすっごく良かったですね。
さて、ドラマの舞台である会津。
母方の縁戚が福島の二本松にいるので、ご近所の会津若松には時々訪れていたのですが、一番記憶に新しいのは、やはり、大河ドラマ「新選組!」の時に、堺@山南とヤマコー@土方のトークショー目当てで会津若松に行ったときでしょうか。
今回のドラマの中でも、山下君と聖君が会津若松の駅に降り立ったシーンを見たときに、3年前のあの暑い夏を思い出しました。
懐かしいなあ……若かったなあ……
というわけで。
今回の新春スペシャルドラマ「白虎隊」は、なんとなく、「新選組!」の続編「新選組!!」のそのまた番外編……キャスティングはまったくカブってませんが、そんな感じで観ましたよ。
会津の殿様は、どこか可愛らしさのある筒井さんから、お顔がシャープなヒガシに変わりましたが…
ドラマの中でも名前が出ていましたが、二本松少年隊も含め、武芸は習えど一度も人を斬ったことのない少年たちが、白虎隊として銃と刀をとって戦わざるをえなかった時代…
「家老西郷頼母の助言通り、さっさと降伏していれば、こんな悲劇は起きなかったのに」というのは、現代を生きる私たちが、現代の常識で思う考えであって、当時の会津にとって、「幕府と帝を守るという正義」を貫いて京都守護職という、誰もが避けた役目を背負ってきた自分たちが、なぜ降伏しなくてはいけないのか?という悔しい思いがあるわけで。
「新選組!」を観ていた時もそうでした。
京都の治安を守る、という正義の名のもとに組織された新選組。
京都守護職だった容保公のために、その力を存分に振るった新選組が、追われるように西の京都から東の江戸へと、衰退への道を行く姿に「彼らの正義は決して間違ってたわけじゃない!」と悔しさと哀しさで胸をいっぱいにしながら見ていました。
今の時代に生きていれば、もとい、今の時代でなくとも、戦さえなければ青春を謳歌していたであろう少年たちが、会津武士の誇りを胸に、容保公のため、冷たい雨が降り注ぐ中、銃剣を手に行軍し、敵と刃を交わす姿に、もちろん結末は分かってはいても、彼らの決死の思いに心をはせると「神様、どうか奇跡を」と思わずにはいられない。
かつて、テレビでのインタビューで堺さんが「一つだけ歴史を変えられるとしたら?」という質問に「鳥羽伏見で勝つ!」と答えたように。
つくづく思いますよ
私の中にも北の血が流れているんだなと
今回のドラマは、内館牧子氏の脚本ということで、残される母たちの姿や思いがとても丁寧に描かれていて、子供を戦場に送り出す母親たちのそれぞれの心情が切々と胸に迫ってきました。
中でも、峰治の母、しげが特に秀逸でしたね。息子には絶対に見せようとはしない、息子を愛しく思う深い情。
命を持ち帰った峰治を「よく帰ってきた」と迎えるしげ。
人知では計り知れない母という存在の、まさに海よりも深い愛情。
子を思う母親の気持ちは、こんな切羽詰った状況にならないと気づかないものなのかなあ…
というか
そのまえに
薬師丸ひろ子が山Pのお母さん役ということと、薬師丸ひろ子本人が山Pの親と同い年ということに、軽~くショックを受けました。
ま、たしかに
私だって考えようによっては、中学生くらいの子供がいてもおかしくない…
飯盛山での白虎隊隊士の自決は、ドラマでも語られていましたが、少年たちだけだったので城が燃えていると見間違えた、もしもその場に大人が一人でもいたら、そんな勘違いは起きなかったのではないかと言われていますよね。
当時の数えで16、7歳。今の年齢にすれば15、6歳。
少年たちだけで、いつ敵の攻撃を受けるか分からない不安を抱えながら、冷たい秋雨の中を行軍し、やっとの思いで辿り着いた飯盛山で、炎上している城下を見たら希望も失せるってもんですよ……
我々は何も悪いことをしていない!と叫ぶ家老たち。
苦渋の決定の末に城にあがった降伏の白旗。
長州の前で膝を屈した容保公の姿。
以前
「新選組!」の頃に書いていたブログで、「私はもともと倒幕派が好きなのだけど、組!を見てたら倒幕派が嫌いになりそう」と書いたことがありました。
まあ、倒幕派にも彼らの正義や思いや誇りがあって、それに共感できるから決して嫌いにはならないけれど、明治維新後、東北奥羽列藩への新政府の仕打ちには、やはり臍を噛む思いが。
どちらが「悪」というわけじゃないのに
互いに互いの正義と武士としての誇りを胸に戦っただけなのに
勝てば官軍 負ければ賊軍
正義っていったい何なのだろう
誇りって何なのだろう
今もなお、それぞれの「正義」や民族の「誇り」という大義名分のもと、世界のそこかしこで起こっている戦い
正義の使い方を間違っているんじゃないか
誇りの解釈を間違っているんじゃないか
そんなことを思うのです